「人間は、自然のうちで最も弱い一本の葦(あし)にすぎない。しかしそれは考える葦である」。思想家パスカル(1623~62)は、人間をこう評した。もろい存在であるはずが、近代以降、「知」を力にして自然を征服していった。いま、46億年の地球の歴史が「人類の時代」に突入したとする、新しい地質区分「人新世」が議論になっている。それは、自らが改変した地球で、人間の生存が脅かされていることでもある。どうして危機的な状況に至り、未来はどうなるのか。科学技術史との関わりで経済思想を研究する、桑田学・福山市立大学准教授に聞いた。
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――人新世とは何ですか。
「最後の氷河期が終わった約1万1700年前から続く『完新世』という相対的に安定した生態環境を備えた時代が終わって、地球が『人類の時代』を意味する新しい地質年代に入ったのではないかと、世界の研究者の間で盛んに議論されています。地層に含まれる化石や岩石から環境の変化を読み取って地質年代が区分されますが、人間の活動が小惑星衝突や火山の大噴火に匹敵するような恒久的な痕跡を残すほどになったのです」
「具体的には、二酸化炭素(CO2)による大気組成の変化や、人工的なプラスチックやコンクリート、放射性物質などの地層への堆積(たいせき)です。まだ正式に承認されていませんが、国際的に地質学関連の学界で検討が進んでいます」
――いつ始まったのですか。
「1784年、ワットが蒸気機関の実用化に成功した産業革命を象徴する年という意見があります。地殻から採掘された石炭燃焼の開始を起源とします。最近より有力なのは、第2次世界大戦以降の人間活動の爆発的拡大期です。CO2濃度の上昇やオゾン層や生態系の破壊、海洋酸性化など様々な指標で急激な変化が起きています。1945年には初めて原子爆弾の実験が米国でありました。地上への放射性物質の拡散で、明確な人間の痕跡を地質に残していることは明らかです」
破滅的な災厄への危機感
――「人新世」って、進歩がもたらした素晴らしい時代のような響きがありますが。
「2000年に最初に提起したのは、地質学者ではありません。オゾンホールの研究で知られ、ノーベル化学賞も受けたパウル・クルッツェン氏です。温室効果ガス排出という形で気候が後戻りできないほど変質し、予測不可能で破滅的な災厄をもたらすという危機感があります」
――桑田さんがお勤めの広島県は7月の西日本豪雨で大きな被害を受けました。その後、被災地を含めて連日の酷暑です。
「この夏の異常気象と安易に結びつけることはできませんが、世界全体が気候の非常事態を迎えつつあるとの危機感が科学者の間で広がっています。大気中の温度上昇が臨界点を越えれば、永久凍土の溶解やグリーンランドの氷床崩壊が起きて、地球規模で海流の循環が変わる恐れさえある。様々な破滅的事態を連鎖的に引き起こしかねません」
気候工学を検討、危険性も
――こうした事態を招いたのは人間だったという反省の表れが「人新世」ですか。
「そうした面もありますが、単純には言い切れません。クルッツェン氏らは、成層圏に硫酸エーロゾルを散布して温暖化を抑える研究の推進を求めています。微粒子が大気を覆って太陽光入射の反射率を高め、地球を冷却します。『気候工学』と呼ばれる人為的な気候改変技術の一つで、最も有望視されている手法です。国連気候変動に関する政府間パネル(IPCC)でも検討が進んでいます」
――人間が気候を変えるなんて…