格調高い正統派の音色で観客を魅了した人形浄瑠璃文楽の三味線、人間国宝の鶴澤寛治(つるざわ・かんじ、本名白井康夫〈しらい・やすお〉)さんが5日午前4時30分、死去した。89歳だった。
京都生まれ。父は文楽三味線の人間国宝だった六代寛治。父から6歳で地唄と琴、13歳で三味線の手ほどきを受けた。1943年に正式に入門し、鶴澤寛子(かんこ)と名乗る。その後、寛弘(かんこう)を経て56年に八代目竹澤団六を襲名。97年に人間国宝に認定された。2001年1月に七代目寛治を襲名した。
「チン、の一撥(ばち)で心を伝えるのが義太夫三味線」と語り、奥行きのある名曲「御所桜堀川夜討(ごしょざくらほりかわようち)」や「摂州合邦辻(せっしゅうがっぽうがつじ)」などを得意とした。
80歳を超えても舞台で三味線を弾き、弟子で孫の鶴澤寛太郎さんとしばしば共演した。大阪・日本橋の国立文楽劇場で8月7日まで上演された夏休み文楽特別公演「新版歌祭文(うたざいもん)」野崎村の段が最後の出演となった。