指揮者・山本祐ノ介さん、父の教えを胸に
よく動き、よく声を出し、よく笑う。
「ここで怒っちゃあ、おしまいですからね」。ミャンマー・ヤンゴンのミャンマー国立交響楽団のリハーサル室で、勢いよく指揮棒を振り上げた。
ベートーベン交響曲第5番「運命」。「モア、モア!」。体をねじり、手を振り上げても演奏がそろわない。「タンタタタンッ!」。口ずさみ、全身で、求める音を表現する。演奏者の気持ちが引っ張られるように集まる。音が合った。「パーフェクト!」
エアコンの調整が利かない底冷えするリハーサル室でただひとり、汗だくだった。バイオリンのハンミョウアウンさん(27)が笑顔を見せる。「他の指導者には叱られてばかりいたけれど、ミスター・ヤマモトはぼくらを理解してくれる。諦めない。最後まで」
2013年、見学がてら初めてこのリハーサル室に来た。クラリネット、オーボエは壊れて全滅。演奏者には楽譜が読めない人も。みな、西洋音楽の経験は、ほぼない。そんな状態の楽団を率いて数年で、1400席の会場を満員にする公演を開いた。外国の外務大臣らを招いた晩餐会(ばんさんかい)でも演奏を披露した。演奏が終わり、国家顧問のアウンサンスーチー氏が、笑顔で近づいてきた。「ぜひ、これからも続けてください」。音楽監督として、今は2カ月に1度のペースでミャンマーに通う。
父親は「男はつらいよ」のテーマ曲も手がけた作曲家・指揮者の故・山本直純さん。希代のエンターテイナーの背中を見て育った。幼い頃から音楽教育を受け、28歳で東京交響楽団の首席チェリストへと駆け上がる。順風満帆の音楽家人生を歩んでいるはずなのに、本人だけが悶々(もんもん)としていた。「自分の音楽を響かせたい。指揮者になりたい」。父と同じ道に進んだ。
ある日の公演後、病が進み、もう指揮台に上がることができなかった父に聞かれた。「今日、どうだった?」
「うまくいったよ」。そう答えると、たしなめられた。
「お前のことじゃない。お客さんは喜んでいたかを聞いているんだ」。間もなく、父は逝った。音楽は聴衆のためにある。その言葉が遺言になった。
特にミャンマーの楽団やジュニア・フィルハーモニック・オーケストラなど、発展途上の音楽家の指導に力を注ぐ。「音楽は楽しくワクワクするもの。その原点をともに刻みたい」
コンサートの終盤は父親譲りの赤いタキシードで勝負に出る。聴衆の喝采に力が湧く。体が大きく動き、指揮棒が振られた。全身全霊を傾けた指揮に、会場が一つになっていく。
なぜミャンマーでタクトを? インタビューで経緯を語ってもらいました。
■首席奏者が一転、バブル崩壊で…