30日に都内で開かれた樹木希林さんの葬儀では、最後に長女の内田也哉子さんが、父で喪主の裕也さんに代わってあいさつをした。
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結婚するまでの19年間、母と2人きりの家庭だったと振り返り、「そこにまるで象徴としてのみ君臨する父でしたが、何をするにも常に私たちにとって大きな存在だったことは確かです。幼かった私は不在の父の重すぎる存在に押しつぶされそうになることもありました」と明かした。
「ところが、困った私がなぜこういう関係を続けるのかと母を問い詰めると、平然と『だってお父さんにはひとかけら、純なものがあるから』と私を黙らせるのです」とも振り返った。
永遠にわかりようもないミステリーだった母と父の関係。だが、也哉子さんは数日前、書庫にある母の本棚にあった小さなアルバムの中から、ロンドンのホテルの色あせた便箋(びんせん)を見つけた。裕也さんから、樹木さんがまだ悠木千帆と名乗っていた頃のエアメールだったという。
「結婚1周年は帰ってから二人きりで祝おう」と始まり、「裕也に経済力があればもっとトラブルが少なくなるでしょう。おれの夢とギャンブルで高価な代償を払わせていることはよく自覚しています。つきつめて考えると、自分自身の矛盾に大きくぶつかるのです」と心境を吐露していた。
「早くジレンマの回答が得られるよう祈ってください。落ち着きとずるさの共存にならないようにも」。手紙は「飯、このやろー、てめー、でも本当に心から愛しています。1974年10月19日ロンドンにて 裕也」と締めくくられていたという。
也哉子さんは「今まで想像すらしなかった。勝手だけれども、父から母への感謝と親密な思いのつまった手紙に、私はしばし絶句してしまいました。普段は手に負えない父の混沌(こんとん)と苦悩と純粋さが妙に腑(ふ)に落ち、母が誰にもみせることなく、それを大切に自分の本棚にしまってあったことに納得してしまいました」「そして長年心のどこかで許しがたかった父と母のありかたへのわだかまりがすーっと解けていくのを感じたのです」と語った。