31年前、自動車レースの最高峰・F1とともに来日し、鈴鹿サーキットのおひざもと三重県鈴鹿市に根を下ろしたフランス人がいる。パン職人のドミニク・ドゥーセさん(57)。F1人気と同様、山あり谷ありの半生を歩んできた。
ドミニクさんは北部ノルマンディー地方リジュー市の出身。パリの一流店などで修業した。日本グランプリが鈴鹿で初めて開かれた1987年、サーキットやホンダの関係者から「日本に来てほしい」と誘われて来日。サーキットにとって、ほとんどが外国人からなる関係者の食事をどうするかが大きな課題だった。
ドミニクさんは当時26歳。故郷で店を持とうと思っていた矢先の要請だった。F1関係者や日本人に自分のパンを食べてもらうことは魅力的な挑戦。しかもオートバイに興味があり、「スズカ」という地名にも親しみを感じていた。
サーキットはベーカリーレストラン「ブーランジュリー」を開いた。場所は、敷地内にある遊園地の真ん中だ。パンを焼くフランス人を見ようと人だかりができ、クロワッサンなどを求めてF1チームや海外の報道関係者が訪れた。3日間のレース期間は不眠不休。当初1年だった契約は5年に延長された。
菓子パンのブリオッシュを気に…