半世紀にわたって水俣病患者らを支援してきた水俣病市民会議の会長、日吉フミコさんが7日、老衰のため熊本県水俣市内で死去した。103歳だった。
68年1月12日、今年2月に亡くなった作家の石牟礼道子さんらと、水俣で初の患者支援組織「水俣病対策市民会議」(現在の水俣病市民会議)を結成し、会長に就いた。患者や家族を物心両面で支え続け、「水俣病運動の母」とも呼ばれた。
1915年、同県の旧旭志村(菊池市)に生まれた。水俣市の小学校教員だった63年、教え子を見舞った同市内の病院で、潜むように命をつないでいた胎児性水俣病患者の姿に衝撃を受けた。水俣市議に立候補し初当選。水俣病を議会で積極的に取り上げた。
95年には、公害や労働災害問題に力を尽くした個人や団体に贈られる「田尻賞」を受賞した。(奥正光)