最大震度7を観測した北海道胆振(いぶり)東部地震から2カ月余り。寝静まった北の大地を襲った大地震では、離島を除く北海道全域で295万戸が停電するブラックアウトが発生した。市民生活を大混乱に陥れた日本初のブラックアウトは、なぜ起きたのか。どんな教訓が得られるのだろうか。(長崎潤一郎)
苫東火力が停止、需給崩れる
9月6日午前3時8分、札幌市内の自宅マンションで就寝中だった私は、突き上げるような強い揺れで跳び起きた。リビングの照明とテレビをつけ、スマートフォンで情報をチェックしていると、ほどなくして室内は真っ暗になった。
マンションのエレベーターも止まっていた。薄暗い階段を9階から1階まで下りたが、入り口の自動ドアが開かない。通用口から外に出て、約3キロ離れた会社に自転車で向かった。
200万人が暮らす札幌市内では、道路の信号機が消え、一部の交差点では警察官が手信号で交通整理にあたった。鉄道や地下鉄は全線がストップ。物流は止まり、コンビニの棚から食料品がなくなった。自家発電機を使って携帯電話の充電サービスを始めた札幌市役所では、行列が庁舎外まであふれた。北海道最大の繁華街・ススキノのネオンも消えた。
電力システムがダウンするブラックアウトは、台風で電柱が倒れたり送電線が切れたりして起きる停電や、東日本大震災後に首都圏で行われた計画停電とは違う。何が起きたのか。
発端は北海道電力の最大の火力発電所、苫東厚真(とまとうあつま)発電所の停止だ。地震当時、道内の電力需要の半分近くをまかなっていたが、その供給が途絶えた。一部地域を強制的に停電させ、本州から電気を送ってもらったが、需要(使用量)に対して供給(発電量)が追いつかず、6日午前3時25分にブラックアウトが起きた。
電力はためるのが難しく、常に需給バランスを一定に保つ必要がある。このバランスが崩れると周波数が乱れ、送電網につながる電気機器の故障の原因となる。それを防ぐために発電所が次々に自動停止した。
北電はダウンした発電所を順次立ち上げ、約45時間後の9月8日午前0時13分に99%超の世帯で停電は復旧した。だが、家庭や企業への節電要請は19日に解除されるまで続いた。観光客は北海道から逃げ出し、9月の宿泊キャンセルは114万9千人分にのぼった。
苦しい台所、電源が集中
一つの発電所に供給力の半分近くを依存する「電源集中」がブラックアウトにつながった。背景には北電の苦しい台所事情がある。
北海道は九州と四国の合計より広く、国土の2割を占めるが、人口は全国の4%にとどまる。北電の1平方キロあたりの契約数は51戸と、全国平均の5分の1しかない。こうした経営上の弱点をカバーするため、北電が頼ったのが泊原子力発電所だった。燃料コストが安く、規模も大きい泊原発をフル活用し、年間発電量の4割を原発が占めた。
だが、2011年の東京電力福…