72年前、南洋群島・パラオからの引き揚げ船で、女性が偶然耳にした歌がある。それから日常に追われ歌詞も一部忘れてしまったが、心にずっと引っかかっていた。かすかな情報をもとに周囲の人々が奔走、楽譜を探してフルコーラスで再現した。
和歌山県串本町の佐藤友代さん(82)。2歳の時、当時日本の委任統治領だったパラオ諸島のアンガウル島に移住した。民間船の乗組員だった父親は、米軍が上陸した激戦地・ペリリュー島で死亡。母・妹と3人でパラオ本島に逃げ、敗戦を迎えた。
1946年1月、佐藤さんは沖合に停泊する引き揚げ船へと向かう巡航船のデッキにいた。そこで戦闘帽をかぶった男性が口ずさんでいた歌が、心を捉えた。「『パラオ』という言葉やメロディーが心を打ったのかもしれません」。この歌を聴くためだけに、翌日も巡航船に乗った。
帰国後、日々の生活や4人の子育てに追われ、歌詞を一部忘れてしまった。子育てが落ち着いた20年ほど前から、歌のことが再び気になり出す。娘にも手伝ってもらい、歌について調べようとした。「四方八方に聞いても全然分からん。もうダメだ」
そう感じていた今年2月、佐藤…