選挙でいくら示しても、政権に一顧だにされない沖縄の民意。紛争地で拘束されたジャーナリストに向けられる自己責任論。子どもを作らないLGBTに投げかけられた「生産性がない」の暴論――。一見ばらばらな事象の底流にある「『分』をわきまえろ」という論理について、長谷部恭男・早稲田大教授(憲法)と杉田敦・法政大教授(政治理論)に語り合ってもらった。(構成 編集委員・高橋純子)
杉田敦・法政大教授 沖縄県が米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設の賛否を問う県民投票を来年2月24日に行うことを決めました。しかし、県知事選や那覇市長選などでも、辺野古移設が争点となり、反対の民意はすでに示されています。安倍政権は、自身が勝利した国政選挙は「選挙結果が全て」なのに、地方の選挙結果は無視、ということでしょうか。
長谷部恭男・早稲田大教授 選挙は、各政党が様々な政策をパッケージにしたものを選挙民に提示して戦いますが、県民投票では単一争点に対する民意が明確に示されます。政府は、安全保障の問題は地方の民意で決めることではないと言い張るでしょうが、衝突する多様な利害や見解を包み込みながら調整し、国全体の中長期的利益を実現するのが政治というものです。
杉田 ところが最近の日本政府は調整を放棄し、時には私企業であるかのように振る舞っている。たとえば沖縄県が辺野古の埋め立て承認を撤回すると、防衛省は行政不服審査法に基づき撤回の効力停止を申し立てました。国土交通相が効力停止を決定し、防衛省は早ければ年内にも土砂投入をしようとしていますが、この法律の目的はあくまでも「国民の権利利益の救済」で、国による申し立ては制度の濫用(らんよう)なのでは?
長谷部 国も民間の事業者と同…