米軍ヘリの窓が校庭に落ちてきた事故から1年となった13日、沖縄県宜野湾市の普天間第二小学校(児童数650人)で、全校集会「12・13を考える日」があった。桃原(とうばる)修校長は「歴史を学び未来を考えてほしい」と呼びかけた。児童は事故後に書いた作文を朗読した。
本土との溝、基地問題の行方は…沖縄はいま
体育館であった集会で、桃原校長はスライドを使い、米軍普天間飛行場に隣接する場所に学校が建てられた経緯を紹介。1969年に、児童数約2400人とマンモス校になった普天間小学校の児童を分けることが必要になり、多くの児童が無理なく通える土地を探した結果、現在の場所になったと説明した。
6年生の男子は「沖縄の基地をなくし、自由に使える運動場に戻ってほしい」と作文を読み上げた。桃原校長は集会後、報道陣に「事実を伝え、事故を風化させない取り組みを続けていく」と話した。
校庭には8月にコンクリート製屋根付きの避難場所が設けられ、児童は米軍機が近づき危険と感じた場合に駆け込んでいる。(伊藤和行)