カンボジアの世界遺産アンコール遺跡群のうち、奈良文化財研究所(奈文研、奈良市)が調査修理プロジェクトを進めている石造寺院跡「西トップ遺跡」(9~15世紀)の北祠堂(しどう)で、仏が歩く姿を石に刻んだとみられる仏像「遊行仏(ゆぎょうぶつ)」がみつかった。奈文研によれば、遊行仏はタイ北部を中心に上座部仏教を国教としたスコータイ朝(13~15世紀)で独自に発展した様式とされ、アンコール遺跡群でみつかるのは初めて。
アンコール遺跡群は、ヒンドゥー教や大乗仏教の影響が多くみられる。上座部仏教は、13世紀初めにスリランカからスコータイ朝に伝わったとみられるが、アンコール朝(9~15世紀ごろ)に伝わった時期や経路を探る貴重な資料として注目される。
西トップ遺跡は、都城遺跡アンコールトム内に建てられた寺院で、中央と南、北の三つの石積みの祠堂で構成される。カンボジア内戦の影響もあって長年放置され、石積みが崩落するなど危機的な状況が続いていた。
奈文研は2002年から遺跡の調査を始め、16年から北祠堂の解体修理をスタート。フランス極東学院が戦前に撮影した古写真から、建物の南と西の両面の「偽扉」と呼ばれる部分に仏像が刻まれていたことは分かっていた。今回の調査では、遺跡内に散乱していた約1千個の石材を整理するなどして2体の再構築に挑んだ。さらに、この過程で完全に崩壊していた北面の部材もみつかり、こちらも「偽扉」部分に仏像(高さ約2・3メートル、幅約0・6メートル)があったことが明らかになった。
新たにみつかった北面の仏像も、南面と西面と同じく釈迦如来立像(しゃかにょらいりつぞう)とみられ、伏し目がちな表情や右手を胸の前に置くなど上半身は同じ特徴を持つ。一方、下半身については他の2体の足がまっすぐ伸びるのに対し、北面の仏像だけは膝やつま先がやや右方向に曲がり、かかとが上がるなど歩く動作を表現した「遊行仏」の特徴がみられた。
西トップ遺跡は、ヒンドゥー教寺院として造営され、のちに仏教寺院に転換したとされる。北祠堂は放射性炭素同位体比による年代測定で、14世紀初め~15世紀前半に造られたとみられることが分かっている。遊行仏が建物と一体化した「偽扉」に刻まれているため、建立当初から存在していたとみられ、建物の造営時期にはすでに上座部仏教が伝来していたことになる。
調査にあたった奈文研の佐藤由似(ゆに)さんは「上座部仏教の信仰の広がりなのか、経済的な交流の結果なのかははっきりしないが、スコータイ朝とアンコール朝末期の関係を考える上でも貴重な材料になる」と話す。(渡義人)