日本を飛び出し、オランダのミュージックシーンで活躍する「ゴースト」がいる。(敬称略)
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この11月末、深夜。オランダのある教会の中に入場料を払って入ると、そこはクラブと化していた。
ドッドッドッドッ、ドッドッドッドッ……。
ビートが響く。薄暗さと光の交錯、あふれる黒系で決めた男たち女たち。音楽のリズムに合わせてダンス、手には高級シャンパン「ドンペリ」が入ったグラス。
ひな壇では、DJが、派手なパフォーマンスとともに音楽を流している。
人気DJの中には、1ステージで10万ユーロ(約1300万円)を超えるギャラを稼ぐ者もいる。自家用ジェットで欧州、北米、南米を飛び回る。そして、世界の人気DJベスト10の大半が、じつはオランダ人である。
教会のダンス会場の中に、日本人がひとりいた。名前は、「トッド・ロイヤル」。4年前にオランダに移住する前、日本で、「大川タツユキ」として音楽活動をしていた。
彼は思っていた。
〈このにぎわいが日本にあれば、ボクは日本を離れなかったかもしれない〉
会場に流れる曲は、電子的につくったダンス音楽、「EDM」と呼ばれる。オランダにとってのEDMは、日本にとってのアニメのようなもの。この国では毎日のようにEDMのイベントが開かれ、政府も世界への「輸出」を後押しする。
DJは、場を盛り上げるためのオリジナル曲を増やしつづけなければならない。けれど、人気DJは世界を飛び回っているので曲作りの時間がない。だから、代わりに曲を作ってくれる「ゴーストライター」が必要だ。ファンは、ゴーストの存在を知っている。ゴーストがいると公言するDJもいる。
そんなゴーストの一人、それがトッドである。
カーステレオで聴いた「アバ」
トッドは東京生まれ。小学生になって、授業中に歩き出したり大声を出したりするので、親は学校になんども呼ばれた。息子が自閉症だったことに気づかなかった父に、体罰を受けていた。心をなぐさめてくれたのは音楽。たとえば、ピンクレディーの「ウォンテッド」だった。
小学3年生のある日。父に車に乗せられてゴルフ練習場に行った。父がボールを打つのを見るのは退屈だ。トッドは車に戻ってカーステレオをかけた。
タンタンタン、タタン、タンタンタン、タタン
ピアノの軽快な前奏だ。
アー、ユー、シュア……
美しいメロディーに乗せた女性の歌が聞こえた。
トッドは、この曲にめろめろになった。スウェーデンの4人組「アバ」の「ザッツ・ミー」という曲、だと知る。英語は分からないので、結婚をひかえた女性が「あなたが思うような女じゃない」と歌っているとは知らない。
1980年、アバが来日した。公演のチケットを徹夜してゲット、宿泊しているホテルで出待ちしてサインももらった。
ザ・ビートルズ、チープ・トリック……。トッドは洋楽を聴いていった。
父の体罰から逃げたくて家出をするようになり、ぐれていった。中学を卒業すると、父に静岡の寺に放り込まれた。そこは、ヤンキーや薬物中毒者たちが収容される施設で、1日に何度もお経を唱えさせられた。出たくて勉強し、1年遅れで高校生になる。
クラスの女の子たちが話題にしている曲について、知識を披露した。
「その曲は、ブロンディの『コールミー』さ。金髪の女性ボーカル、名前はデボラ・ハリーだよ」
人気者になった。いろいろ曲をテープに録音して編集し、みんなに聞かせた。
〈ボクはDJになる〉
ほどなく親が離婚、父は20歳以上年下の人と再婚した。そしてこう言った。
「おまえも好きに生きろ」
ロスでジョンに出会う
高校を卒業したトッドは、米ロサンゼルスに渡った。英語を学びつつ、音楽学校で録音技術や音楽理論を勉強した。
ギターも始めた。たとえばレッド・ツェッペリンの「天国への階段」を弾く。すると、友だちが増えた。音楽は言葉の壁を越える、と身にしみた。
ギター店でのバイトを経て、スタジオでバイトをすることになった。
その当時、日本から多くのアーティストやスタッフたちがロスに来て、レコードをつくっていた。トッドの仕事は雑用係とレコーディングのアシスタント。手が空いているときはスタジオの横でギターを練習し、用を申しつけられるのを待った。
そのころ、日本では女性2人組の「BaBe(ベイブ)」がヒットを飛ばしていた。2人とスタッフらがレコードを作りに来た。トッドは雑用をこなし、スタジオ横に控えていた。
すると、ある英国人エンジニアから声をかけられた。
「キミ、ギターをするんだろ? 間奏部分が寂しいので、ちょっと弾いてみてくれないか」
「下手なので無理です」
「大丈夫だよ」
スタジオの中で、トッドは「A(ラ)」の音をポロン、「G(ソ)」をポロン。エンジニアは録音した音を、変幻自在に変えていった。
エンジニアの名は、ジョン・ジェイコブズ(58)。のちにホイットニー・ヒューストンやポール・マッカートニーら大物アーティストのレコードづくりに参加し、米グラミー賞を2度受賞することになる人物だ。
ジョンと語り合った。自由な発想が必要だと教わった。仕事をしているジョンの背中を見続けた。人からの指示や機材の説明書通りにする「マニュアル人間」では創造的な音楽はつくれない、と教えられた。
ビザの関係もあり、しばらくして日本に帰国することになった。
日本でスタジオ パートナーも
日本に戻ると、当時としては先駆的だったデジタル技術を使ったレコーディングを始めた。何でもできる男と評判になり、いくつかの会社から引き抜かれた。作曲と編曲もするようになる。
トッドは、興味があることはトコトンしないと気がすまない。東京都内に手作りでスタジオをつくった。大工さんといっしょに釘を打ち、グラスウールとゴムで防音をする。手も腕も傷が絶えなかった。でも、金づちで、トントン、トントン、トントン。
多くのアーティストが頼ってきた。音源をもらい、スタジオにこもってトッドは仕事をする。任天堂やソニーのテレビゲームができる待合室をつくり、仕事が終わるまで待ってもらった。
トッドのパートナーとして、アガタサトコが加わった。4歳でピアノを習い始め、中学のときに洋楽のコピーバンドをする。短大で音楽を学んでいるときにバンドのキーボード担当としてCDデビュー。フリーで、企業のプロモーション映像に音楽をつける仕事などをしてきた。
安室奈美恵、浜崎あゆみ、SMAP……。トッドとアガタの2人がかかわったアーティストを挙げたら切りがない。
口パク70%、下手に加工……ヘロヘロに
東証1部上場のエイベックスからは、こんな仕事も頼まれた。
株主総会で株主向けに、所属アーティストの歌を披露する。ヒット曲の演奏部分を短くし、3曲ほどをうまくつなげてほしい。
2人は、「アーティストの役に立とう」と誓い合い、全力で打ち込んだ。
頼まれたら仕事は断らなかった。たとえば、テレビの生放送や生ライブに使うため、アーティストの口パク音源をつくった。それも、アーティストのその日の調子によって選べるよう、口パク100%用、口パク70%用、口パク50%用、口パク20%用など、いろんなバージョンをつくった。
音痴でリズム感のないアーティ…