80年の歴史がある京都市下京区の「船(ふな)はし屋」。豆菓子屋から駄菓子屋に転身して40年ほどが経つ。店頭には正月らしい羽子板やたこも並ぶ。
店主の辻誠一さん(75)は1966年、先代で父親の故・誠三郎さんから店を継いだ。先代が創業したのは戦前の38年だった。
受け継いだころは豆菓子屋。少しずつ駄菓子を売るようになり、ベーゴマ、剣玉、めんこ、水鉄砲、スーパーボールといった玩具の販売も始めた。
「ゲームなんてないし、正月になると羽子板。負けると顔に墨が塗られてね。のどかな時代やった」
80年代後半から90年代初めはバブル期。「お小遣いもぎょうさんで、行列ができていた」と懐かしむ。
新聞で紹介されたこともある。それを見た東京や鳥取の数人から、駄菓子屋を開きたいと電話で相談された。「バブルがはじけた今、脱サラしたい」とのことだった。相談した東京の男性は店を開き、船はし屋にお礼に来た。「教え子」の店は今も続いている。
2000年代に入り、大きな打撃を受けた。コンビニやショッピングモールにも駄菓子屋コーナーができたからだ。売り上げがぐっと減り、近くの駄菓子屋も閉店した。今まで以上に、刻々と変わる「子どもがほしがる品」をよく考えるようになった。
最近、人気なのは「作業型」の…