作家 高橋弘希さんの寄稿
朝日新聞には、A賞受賞時にもエッセイを寄稿した。一般の読者は知らぬと思うが、とゆうか私も知らなかったが、A賞を受賞すると各新聞紙へのエッセイ寄稿が慣例である。
しかし「私がA賞を受賞して」というテーマで、何紙にもエッセイを書くので、すぐにネタが尽きる。結果として本紙に寄稿したエッセイは「私がA賞を受賞して」ではなく「私が竜王を諦めた理由」になってしまい、本紙文化部からは完全にひんしゅくを買ったものと思っていた。
私が芥川賞作家になったのは 爺さんと将棋指したから
しかしそこは懐の広い本紙である。この度、再びエッセイの依頼がきた。一月初旬の掲載なので、干支(えと)について記せ、あるいは亥(いのしし)年なので猪突(ちょとつ)猛進をテーマにしても可、とのことだ。
亥と言えば、私は過去に秩父で猪鍋(ししなべ)を食べたことがある。豚肉とは違い、脂身に軽さがあり、しかしながら淡泊とも言い難い芳醇(ほうじゅん)な味わいがあり、大変な美味であった。新年早々、干支を食した話を記して恐縮である。
ちなみに私は未(ひつじ)年である。東北生まれゆえに、幼い頃によくジンギスカンでマトンを食べた。牛カルビとは違い、むしろリブロースに近い実に肉らしい濃厚な味わいがあり、大変な美味であった。新年早々、干支を食した話ばかり記して恐縮である。
さて、私がA賞受賞後に、猪突猛進が如(ごと)く、執筆に励んでいたのかと言うと、それは誤解である。八月は暇であった。あまりに暇過ぎて、一人で盛夏の市民プールへ出かけた。周囲で男児女児がはしゃぐ中、私は水玉模様の浮き輪に摑(つか)まり、真夏の陽光を浴びながら一人で流れるプールを漂っており、気分的には俳人ならぬ廃人であった。
しかしそんな廃人にも、仕事の依頼がきた。驚くことに、将棋界からの依頼である。前回、本紙へ寄稿した将棋エッセイを、棋界の関係者が読み、なんだこいつは?と興味を持ち、依頼がきたのだ。して仕事内容は、板橋区の文化会館で行われる、プロ棋士との対談イベントへの出演であった。
そう、私はかつて竜王を目指していた。将棋のタイトルの中でも、竜王と名人は別格である。私は名人よりも、竜王に魅力を感じた。なぜなら、私が名人のタイトルを獲(と)ると“高橋名人”になってしまい、とたんに胡散(うさん)臭くなる。“高橋竜王”ならば、威厳も貫禄もたっぷりである。こうして私は竜王になるべく、将棋の研究を始めたのだ。
その結果は、前回の随筆で記した通り、新宿の将棋センターにて、加藤一二三と思(おぼ)しき銀使いの老人に敗れ、竜王を諦めるに至る。(いま想起しても、銀が飛車の動きをしたのではないかと思うほどの、恐るべき棒銀であった)
あの屈辱の敗戦から十余年、ついにプロ棋士と相まみえる日がきた。私の胸中では、熱いものが燃えていた。対談の依頼ではあるが、私の中で、これは対局である。私は対局日のために、ちりめんの和服を用意した。“玄妙”と記された、大山康晴先生の扇子も用意した。
しかし後日、対談相手を知らされて、私は違う意味で胸を熱くすることになる。なんと対談相手は、女流棋士の室谷由紀氏だという。室谷氏といえば、チャーミングな容姿に、愛嬌(あいきょう)のある立ち振る舞い、まさに将棋界のアイドルである。私にもついに、その手のチャンスが訪れたのだ。
思えば私の初恋は最悪であった。私の初恋は、幼稚園の年長である。さくら組の奈々美ちゃん(仮名)に一目惚(ひとめぼ)れをし、帰路の幼稚園バスの中で告白したのだが、タカハシ君はかけっこが遅いからダメ、という理由で振られた。男子たる者、かけっこが速くないとモテないのだと学んだ。
そして二度目の恋は、小学一年である。三組の朱美ちゃん(仮名)に一目惚れをし、下校中に告白したのだが、タカハシ君は計算ドリルができないからダメ、という理由で振られた。男子たる者、計算ドリルができないとモテないのだと学んだ。
あれから四半世紀余りが過ぎ、私は未(いま)だかけっこは速くないし、算数も得意でないが、しかし文章はそこそこ書ける。人間は己の土俵で勝負しなければならない。
そこで室谷氏宛てに、文(ふみ)でも記そうかと考えている矢先である。イベントの依頼者より、室谷由紀氏が、谷口由紀氏になっていたことを知らされる。そう、室谷氏は、ご結婚されていたのだ。
これは大変めでたいことで、祝福せざるを得ない。が、私の豆腐のメンタルは、この時点でおぼろ豆腐になっており、果たしてこの状態で谷口由紀氏との一時間の対談を持ちこたえられるのかどうか、もはや現時点で投了したい気分である。
と、記すうちに、瞬く間に字数が残り僅(わず)かとなった。本稿を読み返して、私はおよそ次のように思う。ぜんぜん干支について書いてねぇじゃねぇか。そこで保身の為(ため)に、申しわけ程度に干支にも触れておく。
世の中には実に様々な占いがある。星座占い、血液型占い、果物占い、寿司(すし)占い、そして干支占いというものもある。そこでさっそく、今年の未年の運勢を占ってみた。もちろん、最初に恋愛運を食い入るように見る。およそ次のように記されていた。
――未さんの今年の恋愛運は良好です。昨年までは辛(つら)い思いをしたでしょう。理不尽な失恋に涙することもあったでしょう。しかし虎さんの方位が変わったので、これまで謙虚に生きてきた未さんに、兎(うさぎ)さんがご褒美をもたらします。合コンでは、積極的に兎さんとコミュニケーションを図ると良いでしょう。更に運気を上げるには、瞑想(めいそう)が効果的です。瞑想しましょう。
そんなわけで、私の朝の日課に瞑想を取り入れようと思う。そして本稿の読者に兎年の女性がいたならば――、ご褒美はいつでも歓迎である。
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〈追記〉 本稿記載の対談イベントは一月六日に無事終了した。ここ一番の勝負に私は高橋システムを用いて果敢に攻めるも(トーク的に)、谷口氏の鉄壁の美濃囲いを崩すことができず(トーク的に)、敗北を喫した。聴衆の諸君は「新年早々、我々はいったい何を見させられているのだ……」と思っただろうが、私は満足である。
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たかはし・ひろき 1979年生まれ。青森県十和田市出身。2014年「指の骨」で新潮新人賞を受けてデビュー。死にとらわれる若者を描いた『日曜日の人々(サンデー・ピープル)』で野間文芸新人賞。地方の閉塞(へいそく)感をあぶり出す「送り火」で昨年8月に芥川賞。エッセーの軽妙さとは正反対の濃密で繊細な筆致で描く小説が高く評価されてきた。