家族の外食先として不動の地位を築いた回転ずし。発祥は大阪府東大阪市の「元禄寿司(ずし)」。1958年、布施市(現東大阪市)に「廻(まわ)る元禄寿司」1号店がオープンした。78年に、創業者が持っていた「コンベア旋回式食事台」の特許が切れたことで、新規参入が相次いだ。 「何もかもびっくりした。これがすしかいな、と」。宮塚巧さん(54)は82年に初めて「廻る元禄寿司」を訪れたときのことをそう振り返る。ツナマヨなど斬新なネタ、客の回転率の高さ、そして安さ。「回転ずしって、かっこええなと思った」 宮塚さんはそのころ、大阪市阿倍野区のすし店「鯛(たい)すし」に職人として入店したばかり。すし店と言えば、鯛すしのようにカウンター席で、高級なイメージが一般的だった。 世はバブル前夜。鯛すしの経営も堅調だったが、創業者の清水義雄さんと弟の豊さんの兄弟は回転ずし業界への参入を決意する。「より多くの人に安くてうまいすしを提供したい」というすし職人としての思いからだった。人気回転ずしチェーン「あきんどスシロー」(本社・吹田市)の前身の誕生だ。 84年、豊中市の住宅街に「すし太郎」(のちのスシロー)の1号店を出店。従来のすし屋には縁遠かったファミリー層向けに、軍艦巻きやコーン、エビサラダなど、子どもでも食べやすいメニューを多く採用。狙いは当たり、厨房(ちゅうぼう)に立つ宮塚さんも多忙を極めた。 平成に入ると、業界に機械化の波が押し寄せる。94年、宮塚さんの厨房に、シャリを握るロボットが試験導入された。「職人が機械に負けるはずないやろ」と懐疑的だった宮塚さんも、ほどなく導入に賛成した。「何時間握らせても文句一つ言わんからね」 バブル崩壊後も、客足は鈍らな… |
「文句言わん」機械の握り 回転ずし誕生の舞台裏
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