名古屋市千種区の柳川喜郎さん(86)は元岐阜県御嵩町長。町内の巨大処分場計画と戦ってきた。暴漢に襲われても、ひるまなかった。今も各地で起こっている産廃処分場問題の現場に行き、体験談を話している。
棒でめった打ちにされた体は背が大きく曲がった。足元も危うく、そろそろとして歩けない。でも、マイクを握ると、あの頃と同じ太い声が出た。
「こんなこと、許していいですか」
1996(平成8)年10月、町内の産業廃棄物処分場建設計画に待ったをかけているさなか、岐阜県の当時御嵩町長だった柳川喜郎さん(86)は襲撃され、一時重体になった。昨年11月末の夜、愛知県西尾市の処分場反対派の学習会でその経験を語った。
戦争末期、父の転勤で東京から今の岐阜県可児市に移った。名古屋大を出てNHK記者に。特派員になり、ベトナム戦争も取材した。大学への再就職が決まりかけた93年、法事で同町を訪ねて人生が変わった。過疎の町のリーダーを探していた町民の目にとまり、町長選立候補を頼まれた。
面食らったが、情熱に押されて決意し、95年、元助役を大差で破った。直面したのが、87万立方メートルの処分場計画だ。町は受け入れに転換しており、住民の移転も決まっていた。でも、「下流500万人の水源の木曽川沿いに処分場を造っていいのか」。業者が35億円を町に寄付する秘密協定の存在が、不信を募らせた。
許認可権を持つ県は、処分場の必要性を認めていた。国定公園内の処分場計画は認めないとする旧環境庁の通知を1年も市町村に連絡しないなど、計画後押しととられる措置もとった。柳川さんは自ら73項目の「疑問と懸念」を県に提出した。だが、行政文書のスタイルではなかったのだろう。県の課長から「これは散文だ」と酷評された。
それでも慎重姿勢を保っていると、戦闘服の男たちが議場に現れた。町を攻撃する怪文書がまかれた。住民学習会のあった寺の前で、切断されたウサギの脚が見つかった。そして事件が起きた。
襲撃犯の2人は逃走し、事件は…