米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への移設計画をめぐり埋め立ての是非を問う沖縄県民投票(14日告示、24日投開票)が迫る。沖縄はこれまでも基地問題で大規模な県民大会や県民投票をし、民意を訴えてきた。背景には、沖縄が積み重ねてきた民主主義の歴史がある。
沖縄はいま
極東最大級の米軍嘉手納基地前に広がる商業地域・コザ(沖縄市)の映画館「シアタードーナツ」で、ドキュメンタリー映画「米軍(アメリカ)が最も恐れた男 その名は、カメジロー」が再映されている。戦後、米軍統治下の沖縄で住民の権利を求めて闘った政治家・瀬長亀次郎の生涯を描いた作品だ。2017年8月の公開開始から県内や各地で上映が続く。
フィルムは沖縄の人々の苦境を映し出す。1950年代、米軍は住民に住宅地や農地を差し出すよう求め、拒むと軍隊を出動して「銃剣とブルドーザー」で強制収用し、基地や軍用地にした。
当時、沖縄には十分な自治権もなく、琉球政府トップの「行政主席」は米現地高官が任命した。立法機関の「立法院」が決めた法律も、米側が出す布令や布告で簡単に覆された。
「一握りの砂も、一坪の土地もアメリカのものではない」。瀬長は街頭で訴えた。人々は集まり、抵抗の意思を示すようになり、56年の那覇市での集会には15万人が参加したと言われる。
大学生だった元沖縄社会大衆党…