作家で経済評論家の堺屋太一さんが83歳で亡くなった。数々の万博に関与し、時代を切り取る評論に定評があった。マルチな才能を知る人たちが、その死を悼んだ。
建築家の安藤忠雄さんの話 堺屋さんとは、大阪の花の万博(1990年)やセビリア万博(92年)でご一緒し、事務所やご自宅の設計もさせていただきました。最大の功績はやはり70年の大阪万博でしょう。30代の若さで、小松左京さんや丹下健三さん、東大や京大の先生がいるなかで強引かつ粘り強く引っ張っていった。大阪万博には哲学があり、日本人に、後の携帯電話やドーム建築につながるような、新しい世界を見せたと思います。それ以後の万博はほとんど成功していないのではないか。
今日では見られなくなった鬼気迫る面があり、自分で考え、自分で動いた。それこそ24時間働くようなところがあり、眠らない人なのではないか、とも言われていました。いわば、人間機関車。一方で博識で、人間広辞苑のような人でもあり、愛敬もありました。20世紀の日本を代表する人だったと思います。
官僚出身らしからぬ発想力のあ…