戦後間もなくから、各地で時刻を告げる音楽を奏でてきた「ミュージックサイレン」。戦争や空襲の記憶を薄めようと開発されたその「平和の象徴」が、姿を消そうとしている。製造元のヤマハ(浜松市)にあった装置も昨年末で運用を終え、残るのは全国に5台。時代を超えて親しまれた「音の風景」の存続を望む声は多い。
大分市中心部の百貨店トキハ本店。開店時間の午前10時、屋上から穏やかな音楽が市街地に響き渡る。音は半径5キロに届くといい、風向きによって10キロ以上で聞こえることも。初めて設置された1954(昭和29)年から、その音色は変わらない。
屋上にある装置は長さ5メートル。モーターで高速回転する10の金属の羽根が圧縮空気を作り、開閉する窓から出ることで10の音階で吹鳴(すいめい)し、登録した曲を奏でる。営業日は1日3回、社員がボタンを押して稼働させる。防災行政無線など録音されたサイレンは各地にあるが、ミュージックサイレンは実際に「演奏」する。
製造元のヤマハによると、初代のモデルがトキハと三重県伊賀市役所、後継モデルが奈良県天理市に2台と愛媛県八幡浜市の愛宕山。全国で4カ所計5台だけとなっている。
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ヤマハによると、前身の「日本楽器製造」時代、当時の会長が工場のサイレンを戦時中の空襲警報のように感じたことから開発を指示。50(昭和25)年に本社屋上に設置した。
国自体が貧しく、まだ音楽も家…