茨城大近くに店を構え、同大生や地域住民に「ホーチン」と呼ばれて親しまれてきた中華料理店の宝珍楼(水戸市袴塚3丁目)が27日、31年の営業に幕を下ろした。「最後にあの味をもう一度」と多くの客が詰めかけ、閉店を惜しんだ。
日付が変わった28日午前1時ごろ。マスターの木ノ内久雄さん(71)が軒先に出ると、雨の中、元アルバイトや客ら10人ほどが待っていた。
「マスターありがとう」。拍手を送られた木ノ内さんは「なんかしおらしいじゃないか」と笑いながら、年季の入ったのれんを下ろす。同時に、安堵(あんど)の表情も浮かんでいた。
閉店のきっかけは、妻幸子さん(68)のけが。2週間前に転んで足に大けがをし、悩んだ末に、自身の年齢も考え、介護に専念すべく急きょ閉店を決めた。木ノ内さんは静岡県出身で、高校卒業後、中華料理の道を志して横浜の中華街で修業中に幸子さんと出会った。幸子さんが水戸出身だった縁もあり、水戸に移って1988年9月7日に宝珍楼を開いた。
以来、食欲旺盛な学生や地域住民に安くてうまい中華を出し続けてきた。豚肉とホウレン草を甘辛く炒めて大盛りごはんにのせた「青野菜中華丼」はわずか590円。通称は青中で、「ここでしか食べられない味」として一番人気だ。
青中にラーメン、から揚げ、春巻きが付いた同大剣道部考案の「四天王セット」や、「ラグビー部のしのぶ君」が考えたという、青中に焼き肉が付く「しのぶ丼」なども人気だ。
黄ばんだ照明、べたつくテーブル。30年を経た店内はお世辞にもきれいとは言えないが、ホーチンには学生の青春が詰まっている。
閉店発表後、学生だけでなく、卒業生や元アルバイトも詰めかけた。同大4年の佐藤朱(あけみ)さん(22)は「先輩と部活の話をしながら食べた四天王、友達と夜遅くまでテストの話をしながら食べた青中、いろんな思い出がある場所」と閉店をさみしがる。木ノ内さんも「50歳近くになった元バイトが子連れで来たとき、30年の長さを感じ、感慨深くなった」。
同大院生の田口翔太さん(24…