埼玉県所沢市で100年以上続いたおもちゃ屋が、3月末で閉店する。ネットゲームが主流となり、子どもが夢中になったキャラクター玩具やお人形さんも時代の波へとのまれていく。親子三代で子どもたちに夢を売ってきた老舗の閉店を惜しんで訪れる客も少なくない。
所沢市寿町の小金井街道沿いにある「すだれや」。代表の平間日出男さん(82)によると、120年ほど前、今の店の隣で祖父が簾(すだれ)を作っていたという。ほどなく現在の場所で駄菓子屋を始め、そのまま「すだれや」が定着。2代目の時にはおもちゃの小売りだけでなく卸売りも手がけた。
1960~70年代はおもちゃの全盛期。トミカやプラレール、野球盤にサッカーゲーム、料理ごっこセット……。「50年前かな。クリスマスに700人もお客さんがやってきた。レジスターを打ちすぎて本体が熱くなった」と平間さん。3月から5月にかけては、おもちゃをどかしてひな人形や五月人形を並べた。
今も置かれているものの一つが金属製のスクリューだ。1個100円。手作りの船の底につける部品で、今ではほとんど売れることはない。「こういう細かい部品は日本ならではの高い技術力があるからこそ」と話す平間さんは、おもちゃの衰退は日本の技術力の衰退でもあると心配する。
平成に入ってからは、量販店の進出、コンピューターゲームの普及により、従来のおもちゃ屋は受難の時代に。2人の子どもには十数年前から「自分の好きな道を歩め」と言い聞かせてきた。「おもちゃ問屋もなくなり、年齢も考えるとそろそろいいかな」と店をたたむことを1月に決めた。
妻の照子さん(76)は「時代の流れなので仕方ありませんね。でも子どもたちが親に連れられて店に入ってきた時の輝くような顔、買ってもらった時のうれしそうな顔を見たくて今までやってこられた。おもちゃという夢を売っていたんですね」と感慨深げだ。
最近は中高年の男性が閉店を知り「小さい頃、よく来ました」と懐かしそうに店内を見回したり、小さな子どもを連れた母親が「もうおしまいなんだね」とアメリカンクラッカーを買ったりする姿も見られる。
平成とともにすだれやの歴史も幕を閉じる。でも、おもちゃを買ってもらった時のあの喜びは、時代が変わっても人々の心に生き続けるはずだ。(佐藤太郎)