多賀谷克彦の波聞風問
毎年4月の上旬、京都の寺院に呉服の名匠、名家による上作約200点が並ぶ。高島屋が1936年から続ける上品会(じょうぼんかい)という得意客向けの展示・販売会だ。今年の会場は建仁寺塔頭(たっちゅう)両足院、企画作品のテーマは「俳句」である。
制作するのは、日本の染織を代表する8社。発足時から参加する京友禅の千總(ちそう)は16世紀以来の老舗である。8社がほぼ1年をかけ、テーマに沿った図案を練り、試作を重ねて渾身(こんしん)の逸品を仕上げる。
各社は、ふだんは接する機会の少ない異なる分野だが、企画作品は準備段階から、高島屋の担当者と共に同じテーブルで、技法や図案について議論を重ねる。伝承するだけではなく、新たな技法や図案に挑戦することも目的だ。
ただ、呉服市場の拡大や社会的な認知度の向上など、課題は少なくない。高島屋の担当者、原健一郎さんは「呉服は多くの職人による手仕事の集大成。事業継承は重い課題です」と明かす。
近世まで、日本の美は生活の中にあった。絵画は西洋画のようなキャンバスの中ではなく、ふすまやびょうぶ、調度品に描かれた。呉服もその一つ。彫刻や造形は仏像や建築、造園の世界にも広がる。考えれば、彼ら、職人の技が途絶えれば、新たな美の創造も、継承された美の修復もままならない。
こんな話を聞いたことがある。…