笛の練習中、長女を抱き子どもたちと話す中沢明起子さん=岐阜県高山市上二之町
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14、15の両日、岐阜県高山市に平成最後の高山祭がやってくる。繊細で絢爛(けんらん)豪華な祭り屋台が、遅い春を迎えた飛驒路の街を練り歩く。平成を祭りとともに生きた30代が、伝統を令和へとつないでいく。
祭りを控えた3月下旬の夜、高山市の観光名所「古い町並(まちなみ)」の焼き物店から笛の音が響いた。
「私の指をちゃんと見て」。中沢明起子(あきこ)さん(30)が子どもたちに語りかけた。1年ぶりの練習で思うように音の出ない子どももいる。「分かんなくなったら教えてあげるから」。中沢さんの声に、子どもたちの笑顔が戻った。
屋台の前で父松山正和さんと写真を撮る4歳の中沢明起子さん=1993年4月、岐阜県高山市、松山さん提供
中沢さんは昭和63(1988)年生まれ。生まれてすぐ、時代は平成に変わった。実家は「渋草焼(しぶくさやき)」の窯元で、祭り屋台「鳳凰台(ほうおうたい)」の組。物心ついた頃には屋台に乗っていた。
中学1年生の時、鳳凰台では約60年間途絶えていたおはやしの生演奏を復活させた。テープで代用していたが、生演奏は祭りに勢いをつける。復活に向けて子どもたちで練習を重ね、笛のリーダーを任された。屋台の上で演奏し、同級生に手を振るのが、楽しく、誇らしかった。以来、毎年、おはやしを奏でている。
屋台の上で笛を奏でる中沢明起子さんと太鼓をたたく父松山正和さん=2014年4月、岐阜県高山市、写真家の山本純一さん撮影
春になれば祭りがあり、笛を吹く。そんな「あたりまえ」を守るということを意識した出来事があった。2011年3月の東日本大震災。発生から1カ月後の祭りには、自粛の動きもあった。被害の大きさに衝撃を受けたが、「祭りがないなんて考えられなかった」
神事ということで、祭りの自粛は免れた。祭りが高山で生きる自分たちにとって無くてはならないもので、代々受け継がれてきた意味を改めて知った。祭りの当日は、同級生と笛を奏でて、被災地への義援金を募った。
昨年の祭りの直前、妊娠が分か…