スキマスイッチ、ポルノグラフィティ……。佐賀市大和町の静かな住宅地の一角から、日本を代表するミュージシャンたちが愛用するアコースティックギターが生み出されている。 乗用車1台分ほどのガレージを改造した工房「BEFFNICK(ベフニック) BRACE(ブレス) WORK(ワーク)」が、ギター作り職人の合瀬(おおせ)潤一郎さん(50)の仕事場だ。 昨年5月、福岡市内で人気バンド「スキマスイッチ」のライブがあった。ボーカルの大橋卓弥さんがベフニックのギターを手にしているのを見た。合瀬さんは「壊れたらどうしようって不安でたまらなかった。でも、ここぞというときに使ってくれた。職人冥利(みょうり)に尽きる」と語る。 天井から製作中や修理中のギターがつるされた工房。トンカチ、ノコギリ、ノミ、小刀、ドリルなど、様々な工具などが所狭しと並ぶ。追求するギター作りのため、自分で作った道具も数多くあるという。 まず大事なのはギターの形作りだ。 「こういうギターを作ってほしい」という要望をとにかく聞くことから始める。楽器専門の問屋から仕入れた木材「紫檀(したん)」の板を手作りの道具で加熱し、ぎゅっと曲げる。板は、ひょうたんの形に似た枠にはめ合わせる。できたギターの外枠に、別の紫檀の板を接着剤で継ぐ。最後に弦を張って完成。1人で作り上げるギター、年間にできるのは16、17本だ。「音がする楽器になるのは、4カ月の全工程の中のほんの最後の1、2時間。それ以前は、ほぼほぼ木工です」と話す。 佐賀県多久市生まれ。友だちと遊ぶとき、一緒に遊び方から考えるのが好きだった。「何かできないか、工夫していた。自分の根本になるものができた気がする」と振り返る。 佐賀市大和町に引っ越し、佐賀工業高校に進んだ。発電所を整備する会社に入ったが、木製のギター製作を始めようと、2年ほどで辞めた。東京のギター製造の専門学校で1年間学び、福岡県久留米市に工場があるギター製造会社に就職。約16年勤務し、腕を磨いた。 2007年に独立した。「分業で量産する工場では、飛び抜けていいものを作るのは難しい。よりよいものを追求したい」との思いが募ったからだ。ブランド名のベフニックは、子どもの頃に住んでいた多久市東多久町の「別府二区(べふにく)」から取った。 佐賀市のギターショップ「まる屋」に、作ったギターを置いてもらった。若者が集まる場所を発信源に、評判は口コミで徐々に広がった。まる屋の代表、丸山哲矢さん(48)は「音がよく、バランスもいい。そして弾きやすい。道具としての使いやすさが評価されている」。今や、スキマスイッチの大橋さんや、ポルノグラフィティの2人など、プロのミュージシャンが使うようになった。 合瀬さんは「プロは、たとえ何百本のギターを持っていたとしても、ここぞというときには一番のお気に入りを使う。自分はその1本を作りたい」と話している。(秦忠弘) |
スキマ、ポルノも愛用 佐賀ギター職人「ここぞの1本」
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