沖縄は67年前の4月28日、日本から切り離され、米国施政下に置かれた。その記憶は今も「天皇」と分かちがたくある。まもなく代替わりする天皇は「基地の島」となった沖縄の歴史とどう向き合っていくのか。沖縄は、問いかけ続ける。(伊藤宏樹、上遠野郷)
【特集】両陛下「祈りの旅」をたどる
【特集】平成から令和へ
4月中旬、那覇市内のマンションで、沖縄キリスト教短大名誉教授の金城(きんじょう)重明さん(90)は穏やかに笑った。「令和、いいんじゃないでしょうか。響きが柔らかくて」
那覇市の西30キロに浮かび、太平洋戦争末期の沖縄戦で米軍が上陸した渡嘉敷島の出身。戦争体験を語り継いできた。「昔は、ひじをついて『天皇』なんて言えば、ビンタされました」。時代は変わった、と繰り返した。「天皇陛下は神様だと、本当に信じていたんです」
琉球王国から「沖縄県」として日本に組み入れられたのは140年前。民間では日本の元号「明治」ではなく、清の「光緒」がしばらく使われた。中央から派遣された官僚たちは、沖縄の伝統や文化を「前時代的」と否定し、皇民化教育が次第に強化された。昭和になると標準語の使用も徹底され、学校でウチナーグチ(沖縄の言葉)を話すと、首に「方言札」をかけられた。
渡嘉敷島も例外ではなかった。「かなぐすく」だった姓の読みは、学校では「かなしろ」に変えられた。皇居の方角に向かって90度以上頭を下げる「宮城遥拝(きゅうじょうようはい)」は日課だった。
「敵は鬼畜米英。捕まれば残虐な方法で殺される。天皇のために玉砕するのが当然だと思っていました」
だから、あの悲惨な「集団自決」が起きた。
1945年3月、米軍が上陸すると、島民は山中に追い詰められた。砲弾が近くで爆発し、米兵が迫ってくる。
極限の恐怖の中、村長が「天皇…