「平成流」の象徴天皇像が作られていく中で、多くの秋田県民が天皇、皇后両陛下と接した。
【特集】両陛下「祈りの旅」をたどる
【特集】平成から令和へ
「目を合わせ、一人ひとりをちゃんと見て下さった」。1993年10月に東京・赤坂御苑であった園遊会に出席した浅利純子さん(49)=鹿角市=は、両陛下の印象をそう振り返る。
この年の世界陸上選手権女子マラソンで、陸上日本女子初の金メダルを獲得。9月に招待状が届いた。
「私が行っていいのかな」。戸惑いながら、大阪府池田市の社員寮近くの洋服店でグレーのワンピースを選んだ。各界の著名人と並び、両陛下と話す機会に恵まれた。
「調子はよかったですか」。天皇陛下がにこやかに尋ねた。「最高の仕上がりでした」。言葉遣いに気をつけながら答えた。皇后さまも「頑張りましたね」とたたえてくれた。1分間に満たない短いやりとりだったが、終了後は緊張が一気に解けて食欲が湧いた。
今も3人の子どもたちに当時の写真を見せる。「言葉を交わせたのは、私の中で宝物。退位されても、国民を思う気持ちは変わらずにいらっしゃると思う」
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「戦後、母一人子ひとりで大変でしたね」。県遺族連合会の前会長、仲沢誠也さん(75)=大館市=は2016年1月、皇后さまにねぎらわれた。
戦没者への「慰霊の旅」を続けた両陛下。フィリピン訪問を前に、仲沢さんら第2次大戦の戦没者遺族が皇居を訪ねた。「国のために戦った父を誇りに思います」。仲沢さんが伝えると、両陛下は柔和な表情をしたように見えた。
父親の一也さんは、フィリピン・ルソン島北部で亡くなったとされる。仲沢さんが生まれて60日で出征した。「誠坊をよろしく頼むよ」と残した手紙を、今も大切に保管している。
戦死公報には、戦死日が終戦翌…