戦前、神戸の動物園で巨大な防毒マスクを着け、防空訓練に参加させられたインドゾウのニュース映像に触発され、戦争と平和を考えるアート作品を生み出した美術家がいる。もの言わぬ動物を戦時体制演出の道具に使った人間たちの愚かさと滑稽さがにじみ出る作品となっている。
防毒マスクのゾウ「ダンチ」、訓練後に訪れた悲劇
兵庫県内在住の元小学校教員で、美術家の笹埜能史(ささの・よしふみ)さん(64)。神戸市中央区にあった旧諏訪山動物園(市立王子動物園の前身)で1940年ごろ、園の人気者だったインドゾウのダンチが防空訓練に参加させられた際の映像を見て、インスピレーションを得た。
ダンチは戦時中、栄養失調で死亡
映像は、朝日新聞社が当時制作した子ども向けニュース「アサヒホームグラフ」の一場面。今年2月、朝日新聞は紙面やデジタル版で映像の存在を報じ、長い鼻から頭まですっぽり防毒マスクで覆われたダンチの異様な姿を紹介した。ダンチはその後、太平洋戦争中に食糧難を背景としたとみられる栄養失調で死亡した。当時の朝日新聞記事には「肉はライオンや虎などの餌にあてる」とある。
「動物をプロパガンダ、人間の滑稽さ」
笹埜さんは、旧諏訪山動物園に近いギャラリー「アートスペースかおる」(同市中央区)での個展(4月5~28日)に向けて構想を練っていたが、この映像に接して「強い刺激を受けた」という。取りかかったのが、ダンチがかぶっていた防毒マスクを模した作品づくりだった。「動物をプロパガンダに動員する人間の滑稽さ、戦争に流されていく社会の愚かさを深く考えてみたい、と」
個展のテーマは「BASE」。子どもの頃の秘密基地をイメージしつつ、緑色のテント地でダンチの防毒マスクをほぼ原寸大で再現した。ギャラリーの野外展示場に飾り、マスクの周りにはオレンジ色のビニールを配置。「死ぬな」「生きろ」という意味のモールス信号を、ビニールに開けた穴の形と数で表現した。旧軍の通信兵だった父親の影響を受けているという。
映像で見たダンチの訓練の様子もキャンバスに描き、米国をイメージしたアルファベットのブロックと共に周囲に飾り付けた。
防毒マスクが呼び起こす
数年前までは兵庫県宝塚市の小学校で図工を教えていた笹埜さん。教員時代から約20年間にわたって制作活動を続けている。東日本大震災や海外での紛争など、関心をもったニュースや出来事に絡む作品も生み出してきた。作品づくりを通して自らに問いを発したり、出来事の背景への理解を深めたりすることを大切にしてきたという。「これからも作品を通じて、戦争や平和の問題を一緒に考えられる人が出てきたらうれしい」と笹埜さんは話す。
ダンチにまつわる作品を展示する個展は既に終了したが、来場者からは「子どもが防毒マスクを着けさせられている戦時中の資料などと作品が結びつく部分があった」といった声が寄せられたという。笹埜さんは、時期や場所は未定だが、再度公開することも検討している。
「動物も巻き込まれた残酷な戦争」
反響の声は、海外からも届いた。米ニュージャージー州在住の女性は記事を見て朝日新聞に連絡し、1冊の本を紹介してくれた。本の名は、「Japanese Wartime Zoo Policy: The Silent Victims of World War Ⅱ」。飢餓で苦しんだ動物たちや殺処分の記録など、第2次世界大戦中の国内外各地の動物園で起こった悲惨な出来事をまとめた洋書だ。その中には、戦時中に栄養失調で死んだダンチのことも紹介されていた。女性は、「人間だけでなく、動物も巻き込まれた残酷な戦争。若い人に知ってもらって、教訓にしてほしい」と話した。(大木理恵子)