アイスショーで演技をする浅田真央さん。オープニングは黒いマントをまとった。引退直後、行き先を見失った感覚を表現した=角野貴之撮影
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黒いマントで顔も目も体も隠したまま、浅田真央さんがスケートを滑り始めた。全国の都道府県を回っているアイスショー「浅田真央サンクスツアー」
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の冒頭だ。この日は、観客席約1100の香川県三木町にあるリンクが会場だった。
浅田さんはこう説明する。「引退した後、自分が何をしたいのか、よくわからなくなってしまって。何ができるのかな、何がしたいのかなと、スケートから離れて、自分に問いかけました。スケートも滑らなくていいのかなと思っていたとき。本当に目の前が真っ暗になってしまったことを、黒いマントは表しています。顔を出して歩き出し、少しずつ光が見えてきて、最後はマントを脱いで、このサンクスツアーが始まります。ようやく光が見えてきて、誰もが輝けるんだ! みんなで輝こうよということを表現し、オープニングは滑っています」
暗い曲調と雰囲気で始まったオープニングは、浅田さんが顔のマントを取ってにこやかな表情を見せることで変わっていく。その後、体を覆っていたマントが脱ぎ捨てられ、衣装はゴールドに。手拍子が始まって、曲と会場の雰囲気も明るくなっていく。
サンクスツアー開幕時の浅田真央さん(右)と無良崇人さん=角野貴之撮影
記者にとって、浅田さんが引退後、初となるロングインタビューだった。ショーを終えて、浅田さんは「フィギュアスケートをやっていて幸せですと言ったのは初めてだった」と語った。
朝日新聞の冬季スポーツ担当記者として、初めて浅田さんと言葉をかわしたのは2005年夏、名古屋スポーツセンター(大須スケートリンク)を訪れたときだった。フィギュアスケートを中心に担当するようになったのは、12年3月、フランス・ニースであった世界選手権から。その後、14年ソチ五輪を経て17年の引退まで、その滑りや言動を見てきた。
クラシック音楽に合わせて舞う浅田真央さん=角野貴之撮影
体が痛むことを言い訳せずに長時間の練習を積む厳しさ。理想とするようなジャンプが跳べないことへの悩み。担当記者として承知していたつもりだったが、それほど自分の感情を押し殺して競技に臨んでいたとは、想像を超えていた。12、13年のグランプリ(GP)ファイナル、13年の四大陸選手権、14年の世界選手権で金メダルと、結果も出していた。リンクを離れ、好きなことやリラックスできることを聞いたときに見せる笑顔は、柔らかだった。
浅田真央さんのジャンプで飛び散る氷=角野貴之撮影
だから、今回の取材で「フィギュアスケートをやっていて幸せですと言ったのは初めて」という言葉に驚き、「選手時代も幸せを感じていたのでは」と、思わず質問を重ねた。
浅田さんはこう応じた。
記事の後半では、浅田真央さんが現役時代に抱いた思い、そして28歳の今感じる幸せについて語ってくれています。インタビュー動画もあります。
「たくさんの方に応援してもら…