妊娠9カ月で交通事故の被害に遭った女性(30)が事故の影響で胎児を失った。加害者を業務上過失致死罪に問えるか否か--。札幌地検は検討を重ねた結果、致死罪での立件を断念し、けがをした女性と夫(31)に対する業務上過失傷害罪で加害者を起訴した。胎児は帝王切開で生まれ、11時間の命だった。「胎児に人権はないのか」。夫妻は釈然としない思いを抱き続けている。
◇「胎児に人権はないのか」
胎児は女の子。仮死状態で取り出され、人工呼吸で息を吹き返したが、翌朝、夫妻の目の前で息を引き取った。「手の中でどんどん冷たくなっていった。それが子供に触れた最初で最後。何もしてあげられなかった」。夫は無念の思いを口にする。妻は意見陳述書に「苦しい思いだけさせて死なせてしまい、涙を流して娘に謝りました」とつづった。2人の初めての子供。春に生まれるからと名前を「桜子」と決め、ベビーベッドや服も用意していた。
事故は03年12月、札幌市東区で起きた。年末の買い出しに出かけた帰り道、凍結路面でハンドル操作を誤った対向車が中央線を越え、夫妻の車に衝突。運転席の夫は鼻骨骨折、妻は左手骨折の上、下腹部を強く圧迫された。
事件を自ら担当した札幌地検の依田隆文交通部長にとっても初のケースだった。法務省刑事局にも照会したが、致死罪での立件は困難との結論に達した。「刑法上、『人』として扱われるのは母体から胎児の一部が露出した時点から。今回のケースは母体内で危害を受け、生後11時間で死亡したため、『人』として扱えない。過失規定のない堕胎罪とのバランスも考えた」と説明する。
「私たちは法の範囲でしか動けず、感情で押し切れない。しかし、医学の進歩に法律がついていっていないのかもしれない……」。依田部長は胸の内を語った。
加害者の男(35)を今年9月、起訴した。論告に「十分人間と呼ぶに足りる状態だった胎児を死に至らせた結果は極めて重大」と記載し、禁固2年を求刑した。判決は11月末に言い渡される。
夫は地検の配慮に感謝しつつも、「今の刑法は胎児の人権を担保していない」と悔しさをにじませる。事故後、精神的に不安定になった妻を支えるため仕事を辞めた。現在は小児医療に携わろうと大学に通う。
交通事故の影響で早産で生まれた女児が36時間後に死亡したケースで、秋田地裁は79年の判決で「刑法上、女児は『人』になったと言えず、胎児の延長上にある」として業務上過失致死罪を適用しない判断を示した。
北海道大大学院法学研究科の小名木明宏教授(刑法)の話 胎児は生物学的には「ヒト」だが、刑法上の「人」として扱うのは難しい。現行刑法を変えるとすれば、全体のバランスをとるために大手術が必要だ。「ヒト」はいつから「人」として扱われるか、どのように扱われるべきかを幅広い視点で考えるべき時期に来ているのは確かだ。【真野森作】
【ことば】胎児への加害行為 第三者による胎児への加害行為に対しては、妊婦の同意を得ずに自然な出産の前に胎児を母体から分離する行為を罰する「不同意堕胎罪」(懲役6月~7年)が刑法にあるが、一定の条件下で人工妊娠中絶を認める母体保護法との関係もあり、事実上死文化している。適用は故意犯に限られ、過失規定はない。