「その日の朝、心に浮かぶことを清子に告げたいと思いますが、私の母がそうであったように、私は何も言えないかもしれません」(皇后さま)。「(皇后さまについて)日ごろからとても強く感じているのは、人に対する根本的な信頼感と他者を理解しようと思うお心です」(紀宮さま)。皇后さまと紀宮さまは今年、誕生日の文書回答でそれぞれ互いへの思いをそうつづった。民間に嫁ぐ娘と民間から皇室に入った母。36年間、共に暮らした2人は15日、祝福の朝を迎えた。
◇嫁ぐ娘、母親の思い
「お別れなんて、そんな言葉は使うもんじゃないですよ」。大安の日の今月9日夕、天皇、皇后両陛下、紀宮さまが出席して、結婚式に向けた一連の行事の打ち合わせが、皇居・御所であった。結婚式の朝、紀宮さまがする両陛下へのあいさつについて、側近が「お別れ」と表現すると、皇后さまは笑みを浮かべながらたしなめたという。
結婚式前日の14日、皇后さまは、急に寒くなったために、紀宮さまに温かいくず湯や生姜(しょうが)湯を飲ませるなどして、紀宮さまの体調を気遣った。15日朝、黒田家の使者が紀宮さまを迎える「入第(じゅだい)の儀」が皇居・御所で行われた後、両陛下は紀宮さまを御所車寄せで見送った。紀宮さまは結婚式に臨む白いロングドレス姿で、扇子を持ち、真珠のネックレスが光る。
両陛下に一礼してから、リムジン型のニッサンプリンスロイヤルに乗り込んだ。皇后さまが先に2、3歩車に近づき、続いて天皇陛下も。車が動き出すと、両陛下は胸元で小さく手を振り、車が見えなくなるまで見送った。見送りの宮内庁侍従職の女性職員の中には、涙を流した人もいた。
皇居・正門を出る前、宮殿の東庭では、宮内庁と皇宮警察職員約560人が長い列になって見送った。皇宮警察音楽隊が、46年前に両陛下結婚の時のパレードで演奏された「祝典行進曲」(團伊玖磨作曲)を奏でる中、車がゆっくりと進む。職員らが拍手で送る中、紀宮さまは車の窓を開けてにこやかな笑顔で何度も会釈しながら手を振った。
実は、この「作法」も9日の打ち合わせ会での皇后さまのアイデアだった。通常のように職員が礼をして見送ると、紀宮さまの晴れの姿を見ることができない。皇后さまが「拍手でどうでしょうか」などと提案し決まったという。
93年に皇后さまが、誕生日の日に声が出なくなった時、また、疲労で97年に入院した時、多忙な天皇陛下に代わって、常にそばにいたのが紀宮さまだった。皇后さまは花嫁道具として、「裁縫箱と救急箱」を用意した。
午前11時5分から始まった結婚式。うつむき加減で緊張した面持ちの黒田さんがまず式場に入り、ほほ笑みを浮かべた紀宮さまが2、3歩後ろに続いた。さらに、両陛下が並ぶようにして入った。夕方からの披露宴で紀宮さまは、自らの願いで皇后さまが身に着けた着物を借りて臨む。嫁ぐ娘の母親への思いが、そんなところにも表れている。【大久保和夫】
◇友人や知人たちも祝福
紀宮さまの結婚を公務や趣味などで交流のあった人たちが祝った。
鳥の彫刻「バードカービング」を指導している野鳥彫刻家の内山春雄さん(55) 紀宮さまは「視覚障害の人にも手触りで鳥を感じてもらいたい」との思いで関心を持たれているようです。なかなか自分のイメージ通りのものはできないので、根気がある方だと思います。とまどうことはたくさんあるでしょうが、とまどいを楽しめる心の広さをお持ちなので、ひとつひとつ、新しい世界になじんでほしいです。
毎年出席している「少年の主張全国大会」を主催する青少年育成国民会議の西原春夫会長(77) 参加者との懇談では、発表ひとつひとつを覚えていてきちんと質問をされるので、発表する少年には大変励みになりました。大会の地元関係者を招いての懇談では分け隔てしない、優しい受け答えにも感銘しました。今後も、特別な庶民として社会的に影響を与えるご活躍をいただきたいと思います。
学習院卒業生で、日本舞踊の会で交流のあった野原千津子さん(37) 学生時代は、良い意味での「お嬢さま」という印象でしたが、最近はすっかり立派な女性と感じます。ご結婚で皇族を離れれば新たな苦労もあるでしょう。でも、度量の広い黒田さんがきっとぬぐい去ってくれると思います。逆に、黒田さんが職場や人間関係で悩むことがあっても紀宮さまの優しさが支えになるでしょう。
盲導犬普及のチャリティコンサートを通じ、親交のあった声楽家で岩手県立大の鎌田滋子助教授(60) ご結婚を祝して「初恋」から始まり「結婚」で終わる愛の歌を披露した今春のコンサートを、紀宮さまも楽しまれているようでした。「来年は、ぜひご夫妻で」とお話しましたら、笑っておられたのを覚えています。お互いの良さが分かった、宮さまにぴったりの方と結婚されるという印象です。