「ショックが大きくて、流したい涙も出ないほど苦しい」。一人娘の彩香ちゃん(9)を失った悲しみをそう語った畠山鈴香容疑者(33)。ところが彩香ちゃん殺害を認める供述を始め、“悲劇の母”は一転して連続殺人事件に関与した疑いが強くなった。「彩香は水を怖がっていた」と語りながら、なぜ橋から川に娘を突き落としたのか。畠山容疑者は彩香ちゃんに対して「愛情はなかった」「疎ましく思った」という内容の供述をした。「母親失格だった」という近所の住民の声もある。秋田県警能代署捜査本部は、畠山容疑者と彩香ちゃんの母娘関係の実態解明を進めている。【馬場直子】
藤里町立藤里小では、「ハッタ」のあだ名で呼ばれていた彩香ちゃん。「4年生になったらトランペットをやりたい」と楽しみにしていたが、始業式の3日後に水死体で見つかった。小学校でいじめられることもあったが、畠山容疑者は逮捕前、「そんな時も『何もなかったよ』と、私に心配かけないように隠していた」と話した。
しかし、そんな一人娘に対して「可愛がっていなかった」と複数の人が証言する。ある知人は「自分は派手な格好をしているのに、彩香ちゃんには汚れた服を着せていた」と話す。「来客があると、夜でも彩香ちゃんは自宅の外に出され一人で遊んでいた」「カップめんを持って外にいたので、ご飯を食べさせてあげた」などと住民らは一様にまゆをひそめる。
「彩香ちゃんが手を差し出すと、払いのける感じだった」と話す元同僚も。離婚したころ「夫が引き取ってくれたらいいのに」とも言っていたという。朝食を作らず、彩香ちゃんが学校で倒れたこともあった。知人は「学校から『彩香ちゃんへの嫌がらせよりも、母娘関係の方が心配』と言われた」という。彩香ちゃんの火葬の際、涙も見せず無表情でいるのを不審に思った人もいた。
一方で逮捕前、毎日新聞のインタビューなどには、彩香ちゃんに愛情を注いでいたように装っていた。「私は母1人、娘1人。できるだけいろいろなところに連れて行った。どこに行くのも一緒だった」と強調する畠山容疑者。彩香ちゃんの死後、毎日2時間ほど実家から自宅に戻り、遺品を整理していたという。「彩香が座っていた椅子に座って元気だったころの彩香を思い出している」と語る表情は、愛情に満ちているように映った。
畠山容疑者は4月9日夜、「午後4時ごろに『(人形を)見せに行って来る』と出掛けたまま戻らない」と同署に捜索願を出した。“悲劇の母”は「知りませんか?」と大書した手作りのビラを付近の商店や住宅に配り、情報提供を求めた。周辺には一人娘の死の原因を知るために必死になっているように映った。しかし今月になって、「橋から足を滑らせて落ちた」と供述。さらに「橋から突き落とした」と供述を変遷させた。
捜査本部は、畠山容疑者が米山豪憲君殺害事件の取り調べでも何度も供述を翻したことから、今回の供述についても慎重に裏付けを進めている。
毎日新聞 2006年7月17日