日露戦争(1904~05年)で日本が旧満州(現中国東北部)に派遣した満州軍の諜報(ちょうほう)活動の詳細を伝える機密文書が大量に見つかった。満州軍が04年6月23日から05年6月30日に発信した約700通の極秘電文の元原稿をつづったもので、日露両国のスパイが暗躍する様子や謀略工作の実態が暗号交じりで生々しく描かれている。
機密文書は「発信原稿 満洲軍参謀部諜報部」と表書され、「満洲軍総司令部」や「大本営」と印刷された罫紙(けいし)に書かれている。1枚ごとに児玉源太郎総参謀長ら最高幹部のサインが記され、紙数は約950枚。諜報参謀だった福島安正少将の手紙13通も挿入されていた。
発信原稿からは、満州軍が旅順総攻撃に合わせてロシアの鉄道破壊を促したり、後方かく乱のため馬賊(ばぞく)を組織して敵の物資を奪うよう命じたり、情報漏えいを恐れて従軍記者の記事の検閲を徹底するよう指示したことが浮かび上がった。重要な言葉は、数字やカタカナを使用した暗号に組み替えていた。ロシア資本の銀行の現金輸送列車を襲うよう指示したり、ロシアのスパイを恐れて満州在住の朝鮮人を韓国に強制移送させることを通知するなど「初めて明らかになる」(浅野豊美・中京大教授)内容も含まれていた。
発信原稿は日露戦争後、最高機密文書として陸軍に保管され、太平洋戦争敗戦時、GHQ(連合国軍総司令部)の没収を恐れ、諜報活動に関する他の史料と共に焼却処分されたと思われていた。しかし、名古屋市在住の故長谷川昇・東海学園女子短大(現東海学園大)名誉教授が所有。遺族が昨年、遺品を整理中に見つけた。
概要は9月中旬発行の軍事史学会の機関誌「軍事史学」に掲載される。【栗原俊雄】
▽原剛・防衛研究所調査員の話 満州軍の諜報戦の内容は、これまで断片的な史料や口伝えでしか分からなかった。最前線ならではの情報が記されており、一級の史料だ。
毎日新聞 2006年9月1日