米国につくか、テロリストにつくか。お前は「こちら側」の人間か、それとも「向こう側」の人間か。私たちはこの5年間、二分法の単純世界に生きてきた。聞かれれば、多くの人はこう答えるだろう。「むろん、私は『こちら側』の人間です」
自分や家族の命、自由を奪うテロは許さない。「こちら側」の人間はそう考える。そして、私たちは「自由を守る側」の隊列に加わる。世界は自由を守る人間と、破壊する人間とに分かれ、戦いは前者の勝利で終わる。これが、米国の描く反テロ戦争である。
ブッシュ米大統領は先月末の演説で、守るべき自由をこう語った。「言論の自由、神を崇拝する自由、自由に生きる自由」
どれも、欧米人や日本人にとっては、すでに手にした自由だ。世界には、貧困や医療の遅れ、紛争などによって、その自由をまだ手にしていない多くの人がいる。自由の隊列に加わりたくても、守るべき自由すら持っていない人たち。聞かれれば、彼らはこう答えるだろう。「私はあなたの言うような『向こう側』の人間でも、『こちら側』の人間でもありません」
ブッシュ演説には、こういうくだりもある。「我々はテロリストと米国で戦わずにすむよう、海外で戦っているのだ」。大統領の言う通り、米国を安全なオリの中に囲い込むため、荒涼とした外の世界が作りだされている。「自由を守る」美名の下、現実に起きているのは米国人の愛国心、ナショナリズムの戦争だ。ここに、対テロ戦争の本質があるのではないか。
第二次世界大戦が始まったあとの41年1月、ルーズベルト米大統領は「四つの自由」を戦後世界の理想に掲げた。最初の二つは、ブッシュ大統領と同じ「言論の自由」と「神を崇拝する自由」である。残りは「欠乏からの自由」と「恐怖からの自由」だった。
貧困から抜け出し、人間的な暮らしを送る自由。そして、戦火に巻き込まれず平和に暮らす自由。「恐怖からの自由」には、ある国が他国から侵略されない自由も含まれていた。
「欠乏」「恐怖」からの自由という考えは、米英両国による大西洋憲章(41年8月)でもうたわれ、日本国憲法の前文にも盛り込まれた。原爆投下という残虐さは「四つの自由」に汚名を着せたが、連合国側について戦った当時の国々にとって、あの戦勝は、ファシズムに対する自由と民主主義の理念の先進性、普遍性の勝利でもあった。
対テロ戦争はどうか。最貧国の一つ、アフガニスタンは、米同時多発テロ後の米英の空爆で、民間人3000人以上が犠牲になったといわれる。03年からのイラク戦争では、イラクの民間人死者が4万人を超えた(イラク・ボディーカウント調べ)。そして、今も、宗派間対立などで毎月数千人が命を落としている。
「9・11」の犠牲者は約3000人。この比較が適切とは言わない。だが、他者の欠乏や恐怖、死に鈍感でいる限り、自由を守る戦いのすそ野は広がらない。
表現の自由より、生きるための必要最低限の自由が必要な人々がいる。投票用紙よりもパンを、武器より薬を願う人々が描く自由は、私たちの描く自由とはまるで別物だろう。
フセイン政権の暴政からイラク国民を自由にするために攻撃した、と米国は言う。だが当初は、大量破壊兵器の脅威から世界を守るため、と言っていたのである。イラク人、イラクに同情を寄せるイスラムの人々は、いきなりやってきて大混乱をもたらした米国に、こう聞いてみたいのではないか。「お前は、自由を守る側の人間か、それとも破壊する側の人間か」
イスラム原理主義組織ハマスも、イスラム教シーア派民兵組織ヒズボラも、米国から見れば対テロ戦争の敵だ。しかし地元の民衆にとっては、他国の占領に抵抗し、医療や教育で「欠乏からの自由」を与えてくれる存在、つまり「自由を擁護する」側である。
「自由を守る戦い」という言葉の前で、一度立ち止まって考えてみたい。それは誰の、どんな自由を守る戦いなのか。豊かな「こちら側」の人々の特権的自由ではなく、より根源的な、人間らしい自由を希求する人々に、あまねく共感を呼ぶような言葉と行動を、私たちは身につけるべきだろう。その時初めて「自由」と「テロ」は明確に区別され、自由を擁護する戦いは世界の広範な人々の支持を受けるだろう。たとえ遠い道でも、それがテロを減らすことにつながる。
毎日新聞 2006年9月12日