被爆者と家族を埋葬し、追悼を続けるために、東京都内に住む被爆者の仲間が都内に「原爆被害者の墓」を建てた。戦後61年が過ぎ、被爆者が孤独死したり親類と縁遠くなって納骨する墓がないケースもあり、「原爆の被害に遭いながらも懸命に生きてきた人々。ふさわしい弔いをしなければ」と昨秋、建立。今月10日には広島で被爆した男性の遺骨が納められた。被爆関係者の共同墓は全国でも初めてという。【苅田伸宏】
「われら生命もてここに証す 原爆許すまじ」
八王子市の東京霊園に建立された共同墓脇の石板に被爆者の思いが刻まれている。墓石は高さ約1.5メートルの自然石。後ろの黒御影石には広島、長崎両市の地図と折り鶴が描かれ、40~50の骨つぼが収められる。
共同墓の建立は94年、ある被爆者の孤独死がきっかけだった。都原爆被害者団体協議会(東友会)のメンバーが広島市に住む親せきのもとに遺骨を届けた。しかし、困惑する姿を見て、共同墓の計画が持ち上がった。賛同者の寄付をもとに昨年11月にようやく完成。その3カ月前、大田区に住む被爆者の男性(65)の妻が亡くなり、最初に埋葬された。そして今月10日、被爆者では初めての納骨式が営まれた。6月に67歳で亡くなった米内達成さんの遺骨だ。甲府市で空襲を受け、母親の実家がある広島市に移って約1週間後に被爆。母と祖母、幼い妹2人を失った。山梨県で被爆者団体発足に携わり、江東区の「第五福竜丸展示館」でガイドも務めた。
妻の節子さん(62)=同区=によると、先祖の墓がある場所が不明で「本人は20代から被爆者運動をしてきた。みんなと一緒にいさせてあげたい」と共同墓への埋葬を決めた。
長崎市で被爆した東友会副会長の山本英典さん(73)は「核兵器廃絶に向けた思いを一つにする場にもなってほしい」と話す。問い合わせは東友会事務局(03・5842・5655)。
毎日新聞 2006年9月12日