ぼくの夢は、パン屋さんになることです。今のクラスメートがぼくの店に来たら、すっごくおいしいパンを食べさせてあげたいです。焼きたてのいい香りのするパン屋さんの名前は「生ムニエル」です。ぼくの名前から付けました▲小学6年生の生井智也君が、毎日新聞の茨城版に書いた「私の夢」。白い帽子の清潔そうなパン屋さんは、子ども心をときめかす仕事だ。今年80歳のマハティール前マレーシア首相がパン屋を開いた。店の名は「ザ・ローフ」。きっと幼いころからの夢だったのだろう▲生まれ故郷に近いランカウィ島というリゾート地に、こぢんまりとした店を構え、日本式の高級パンを売り出した。店番もする。その時のレシートには「レジ係・マハティール」と印字してあるそうだ▲前首相はマラヤ大学医学部に学んだ。医師の資格をとって最初に赴任したのがこの島だ。当時は、貧しい離島の無医村だった。いまは観光開発が進み、一流ホテルが建ち並ぶ。けれど前首相は「マレーシアにはおいしいパンがない」のをなんとかしたいと考えた▲お気に入りは、東京・日本橋にあるデパートの有名なパン屋。それを日本から誘致してきた。だが、いざやってみると、いろいろ難しい問題があった。パン皮のつやを出すのに使うブタのラードが、イスラム教徒の多いマレーシアでは禁物なのだ。工夫を重ねて、「日本のパン」の味にこぎつけた▲それにしても、隠居仕事にパンを売るつもりはさらさらなさそうだ。自分が後継者に指名した現首相の政治を批判して、与党の地方代議員選挙に立候補した。が、落選。マハティール時代は終わったね、とささやかれたが、「オレは黙らない」と息巻いているという。パンも枯れた味はしないだろう。
毎日新聞 2006年9月25日