6000人以上の命を奪った阪神大震災で、国語教諭として勤めていた神戸市長田区の夜間中学校舎が全壊した。仮設テントで授業を再開したが、文字を知らないために被災届一枚すら書けない多くの高齢者がいることを知った。戦争で、学ぶ機会を奪われた在日韓国・朝鮮人だった。
自身も1945年の神戸空襲で被災し軍人の父をサイパン島沖で失っていた。「一緒に学び合いたい」。定年退職した96年の9月、ボランティアらとプレハブ小屋で週1回の識字教室を始めた。
現在の生徒は、在日コリアンや中国人、日本人ら約20人。授業は土曜午前に始まり、ルビをふった新聞の切り抜きを教材に、身ぶり手ぶりを交えながら生徒の視線まで腰をかがめて進める。
「せんそうのとき にほんにきたから ことばがわからなかったです。それでいえのなかにおりまして つらかってないた」。作文はたどたどしく、悲惨な内容も多い。「日本が戦争でどれだけ多くの人生を踏みにじってきたことか」
復興住宅で倒れた80代の在日女性は「ちいさいしあわせ じい(字)かく」と文字を手にした喜びを書き、息を引き取った。生徒のあふれる胸の内を子どもや孫たちに伝えたいと願い、まとめた文集は25冊に達した。
生徒の平均年齢は75歳を超えた。「ここは『学びたい』という皆の思いで成り立っている。生徒が一人でもいる限り、つけた灯は消せません」(山下貴史)
【略歴】桂光子(かつら・みつこ)さん 神戸市出身。神戸大卒。93~96年、夜間中学の同市立丸山中・西野分校に勤務。教室事務所は同市兵庫区内(078・512・3703)。70歳。
毎日新聞 2006年10月24日