【レキシントン(バージニア州)吉田哲子】1860年に日本の軍艦として初めて太平洋を横断した咸臨丸に乗り組んだ勝海舟らの子孫と、同船の操船に活躍し航海を成功に導いた米海兵隊のジョン・M・ブルック大尉の孫が7日、祖先の交流から1世紀半の時を経て当地で対面した。
米国を訪れているのは、万延元年(1860年)、日米修好通商条約批准書交換のための幕府遣米使節を乗せた米軍艦ポーハタン号の護衛随伴艦としてサンフランシスコへ渡った咸臨丸の乗組員、木村摂津守、濱口興右衛門、小杉雅之進らの子孫らと幕末史研究家ら約30人。6日に米国入りした一行は7日、首都ワシントンから南西へ約320キロのバージニア州レキシントンにあるブルック大尉の孫、ジョージ・M・ブルック・ジュニアさん(90)=バージニア・ミリタリー・インスティチュート名誉教授=の自宅を訪れ、祖先が受けた恩に感謝の意を伝えた。
ジョン・ブルック大尉は測量船の船長として来日、横浜滞在中に航海経験を買われ、咸臨丸に同乗してサンフランシスコで下船した。孫のジョージ・ブルックさんは1914年東京生まれで2歳まで日本で育ち、その後米国へ。1962年には慶応大学で1年間、教鞭をとった経験もある親日家。祖父のブルック大尉は1906年に死去したため、直接対面はしていないが、祖父の伝記を孫のブルックさんが出版している。
咸臨丸乗組員の子孫らとの対面に感激した面持ちのブルックさんは「わざわざ会いに来て下るとはたいへん有難い。祖父は日本人が好きで、日本のことをよく話していたそうです。私も日本で生まれ、心は日本にあります」と語った。
訪問には勝海舟の玄孫で米国人のダグラス・スティッフラーさん(38)=米ペンシルバニア州在住=も参加した。一行を迎えたブルック家では、同家が所蔵する勝海舟の肖像画(エドーワド・カーン画)など日米交流にゆかりのある貴重な品々も披露された。
咸臨丸は1857年、オランダで建造された日本初のスクリュー式蒸気機関付き帆船。1860年の太平洋横断では激しいシケに見舞われ、ブルック大尉らによる不眠不休の操船がなければ「難破していただろう」(咸臨丸子孫の会)とされている。
一行は、9日にサンフランシスコへ飛び、米国で死亡した水夫ら3人の咸臨丸乗組員の墓をコルマ墓地に訪れ献花するほか、咸臨丸を修復したメアアイランドの旧海軍工しょう跡などを訪れた後、13日に帰国の予定。