米株式市場がブラックマンデー以来の暴落を記録したのは9年前の6月だ。当時の橋本龍太郎首相が日本はかつて米国債売却の誘惑にかられたことがあると語ったせいだ。米紙は「ハーバート・フーバー・ハシモト」と、大恐慌の時の大統領の名をもじってみせた▲「貧困はなくなる」と主張したフーバー大統領が大恐慌に見舞われたのは就任7カ月後だ。橋本首相がその名を冠されたのは米株価暴落のせいだが、その後米高官やメディアは日本経済の危機にからんで橋本首相をフーバー氏になぞらえることになる▲フーバー氏が長らく大恐慌の張本人とされてきたのを思えば、政治家は歴史の大きなうねりの中では孤独だ。だから自民党トップとして2年半ぶりに首相となった当時の橋本さんの胸中も自らの歴史的使命への自負とおそれがせめぎあっていたろう▲「火だるまになってもやる」と公言した行政改革など「6大改革」を掲げた橋本政権だ。沖縄の普天間飛行場返還、対露外交打開も自ら設けた目標だった。だがその完遂への道は消費税引き上げによる景気失速でふさがれたのが当人には無念だろう▲掲げた課題は2度も党首の座を争った小泉純一郎首相の改革路線を先取りしていたと評される。歴史のめぐり合わせは皮肉だが、それがどうあれ結果責任を負うのが政治家の名誉である。「消えろといわれたから消えるよ」という退陣の際の言葉も、鼻っ柱の強さで時に人を困らせた橋本さん流の責任倫理の表現だろう▲魚釣りの時もネクタイ姿だったフーバー氏は大統領を退いてから30年間を生き、その人生全体の事績に相応の歴史的評価が下されるのを見て亡くなった。それを思えば独自のダンディズムに生きた橋本さんには早すぎる死だった。
毎日新聞 2006年7月4日 0時31分