濱本捷子(かつこ)さんは50歳のとき、光を失った。盲導犬と歩きたいという夢が絶望をかろうじて食い止めた。だが盲導犬を貸与してもらうためには1年間、生活訓練を受けなければならない。ためらう濱本さんの背を家族が押した。「格好良いお母さんでいて」▲滋賀県の町を離れて京都ライトハウスの中途失明者施設に入寮したのは94年4月。白杖(はくじょう)を使っての歩行訓練、日常生活動作訓練、点字……。しばしば路上で方向感覚を失った。パニックになって立ちすくむ濱本さんに教師の厳しい声が飛ぶ。「そんなことでは盲導犬は使えません!」▲その様子を濱本さんは点字毎日に連載した。室内の移動もままならなかった春。バス、電車を乗り継いで家と往復できるようになった次の年の春。1年間のライブ中継だった。その原稿に、失明するまでの半世紀を書き加えた「かっちゃん、拝まんせ」が今月1日、京都ライトハウスから刊行された▲思春期に左目を失うなど前半生も苦労に満ちたものだったが、悲劇のヒロインを気取る様子はまるでない。楽天的性格に、困難で鍛え上げられた強さが重なって不思議な明るさを感じさせる文章だ▲「美しく歩くため」始めた歩行訓練が終盤に近づいたころ、京都市内で女性に声をかけられた。母親を失ったばかりだという女性は地下鉄に一緒に乗り込み、別れ際、こう言う。「あなたはとても良い表情をしていらっしゃいますよ。なんだか私の方が励まされたような気がします」▲どんな境遇でも美しくあろうとする心は人間としての誇りそのもの。だから家族も格好良くいてほしいと願った。その思いこそ絶望への最良の処方薬なのだろう。京都は祇園祭でにぎわう。酷暑の日々。一読してさわやかな風が吹いた。
毎日新聞 2006年7月17日