「揣摩憶測(しまおくそく)」は当て推量のことだが、昔の中国には“揣摩の術”というのがあったそうだ。人の心を読み取る術のことで、戦国時代、強国の秦に対する共同戦線--「合従」策を他の6国に説いた蘇秦はこの術を使ったという▲「鶏口となるも、牛後となるなかれ」は、その蘇秦が小国の韓の王に、秦への服従を思いとどまるよう説得した際に使った当時のことわざだ。王の自尊心を読み、それを操って対秦同盟への参加を決断させたわけで、これも術の成果なのだろうか▲もっとも、逆に秦と各国の同盟--「連衡」策を説いたライバル張儀も蘇秦と同門だから術を身につけていてもおかしくない。こちらは楚(そ)で何百回もムチで打たれた際に妻に「舌はまだついているか」とたずね、大丈夫と知ると「舌さえあればいい」と言ったエピソードで有名である▲さて合従か、連衡か、揣摩憶測が乱れ飛ぶ同業企業同士のM&A(合併・買収)の動きである。製紙業界トップの王子製紙による北越製紙株買収をめぐっては、三菱商事を引受先とする北越製紙の増資、業界2位の日本製紙グループの北越株取得と、まさに戦国乱世の様相を見せている▲一方、紳士服販売業界でも、業界4位のコナカを筆頭株主とするフタタを、業界2位のAOKIが買収する動きが浮上した。こちらもAOKIとコナカによるフタタ争奪戦に発展する可能性がある。製紙業界と同様、渦中の各企業にはそう簡単に後に引けないそれぞれの事情もあろう▲この手のM&Aが日本でも珍しくなくなるかどうかを占ううえでも注目を集める両ケースだ。株主はもちろん、従業員などステークホルダー(利害関係者)の心中を読み、その理解を得られるのはいったい誰か。揣摩の力量が試される。
毎日新聞 2006年8月9日