娘で元宝塚女優の北原遥子さんが生前使っていた自宅2階の一室で本を手にする母、吉田公子さん=横浜市栄区で8日午後0時23分、内藤絵美写す
85年の日航ジャンボ機墜落事故で犠牲になった宝塚歌劇団出身の女優・北原遥子(ようこ)(本名・吉田由美子、当時24歳)さんの母・吉田公子さん(72)=横浜市在住=が、北原さんの生い立ちや事故後の思いをつづった「由美子へ」(扶桑社刊、税込み1470円)を出版した。12日で事故から21年。吉田さんは「年月がたっても私にとって区切りはない。やっと花開く時に命を絶たれた娘の生き様を形にしたかった」と話している。
北原さんは宝塚雪組の娘役として活躍。84年に退団後、CMやミュージカルの女優活動が軌道に乗り始めたころ、事故に遭った。実家に帰省した後、大阪へ向かう途中だった。
約200ページの本には、北原さんの24年間の生涯を詰め込んだ。バレエと体操に熱中し、熱があってもけがをしてもレッスンに通った幼稚園から中学生時代。普通科高校2年生の時に突然中退して宝塚音楽学校に入学するなどの思い出をつづった。17歳まで過ごし、事故当日朝の状態のままの実家の自室も紹介。ピンクが基調の部屋に置かれたぬいぐるみや変色したタオルについて、吉田さんは「あきらめきれない。処分できない」とつづる。巻末には宝塚の同期の女優・黒木瞳さんが「あなたの分まで生きる」とメッセージを寄せた。
本をまとめるきっかけは、今年5月に受けた出版社からの打診だった。吉田さんの2日間の口述を出版社がまとめた。吉田さんは最近数年間は娘の思い出を語っても涙を流さなかったが、口述した夜は「嫌なことがあっても頑張る娘の姿をいくつも思い出して一人で泣いた」と振り返る。
事故翌年から、夫俊三さん(74)といっしょに、春と命日、秋の年3回、墜落現場となった御巣鷹(おすたか)登山を欠かさない。吉田さんは「今年も娘が最期を迎えた場所に会いに行く」と話している。【種市房子】