埼玉県ふじみ野市の市営プールで小2女児が吸水口に吸い込まれ死亡した事故は、「無責任の連鎖」で起きたのだと思う。市は業務委託という名目でプールの管理を業者に任せきりにし、業者は下請けに丸投げした。ずさんな実態をチェックしなければならない市や県は、その機能を全く果たさなかった。吸排水口の死亡事故は毎年のように起きている。人命にかかわる仕事という自覚を関係者が高めない限り、同じ悲劇はまた繰り返されるだろう。
戸丸瑛梨香(えりか)ちゃん(7)が流水プールの吸水口にのみ込まれたのは7月31日午後1時40分ごろだった。監視員らが吸水口のふたの脱落に気づいたのはその約10分前とみられる。この時点で起流ポンプを止めたり、遊泳を中止させていれば、事故は防げたと指摘されている。
だが実際は、アルバイト監視員はふたが外れている重大さを理解できなかった。ポンプを停止できる一人だけの現場責任者は、監視員から報告を受けた後もプールとの間を行き来したり、客に注意を呼びかけさせることしかしていなかった。業務上過失致死容疑で捜査を進める県警は、この現場責任者が「危険回避義務を怠った」との見方を強め、本人から事情を聴いている。しかし、現場にだけ責任を押しつけて済む事故ではないことは明らかだ。
本来、ふたはボルトで固定されていた。プール内に何カ所もある吸水口や排水口のふたの取り外しを清掃などで繰り返すうちボルトと穴が合わなくなり、針金で留めていたが、その針金が古くなって切れたとみられる。原因は単純というより、ずさんであり、プールの専門家は「これは人災」と口をそろえた。
このプールは86年の開業当初から監視員の派遣などを民間委託した。92年からは運営の全体をビルメンテナンス会社の太陽管財(さいたま市)に任せていた。太陽管財は市に無断で業者仲間の京明プランニング(同市)に仕事を丸投げした。事故後、両社の社長は「実務の詳細は分からない」「過去にこんな事故はなかった。分からない」と語った。監視員の安全教育などとは無縁の会社がプールを管理していたといえる。
一方の市は、契約で義務付けた監視員の資格証明書が提出されないのに営業を黙認していた。巡回点検の際も針金の使用を見落としていた。「巡回の目的は委託業務が適正になされているか確認すること。細かい所までは見ないし、そこまですると業務委託の意味がない」という市教育委員会の説明は責任転嫁のように思えた。
安全を指導する立場にある県も対応の甘さは変わらない。県のプール維持管理指導要綱は吸排水口の安全対策を義務付けながら、開設届には対策を記入する欄を設けていなかった。プールを管轄する県所沢保健所は03年以降、要綱に基づく立ち入り検査を一度もしていなかった。県は「本来、保健所がプールを監督するのは水質保全のためで、吸水口の安全などに対する意識は薄かったかもしれない」と話す。結局、誰も責任を持つ体制になっていないのだ。
日本体育施設協会によると、65年から04年の間でプールの吸排水口事故は少なくとも59件発生し、54人が死亡している。足などを吸い込まれ、おぼれ死ぬケースが大半だ。亀井利明・関西大名誉教授(危機管理論)は「過去にどのような事故があったか全国の関係者に周知徹底されず、情報が共有できなかったことが問題だ」と指摘する。04年に新潟県のプールで息子を亡くした母親は「当時もっとマスコミが騒いでくれれば今回の事故は防げたかもしれない」と訴えた。
私たちは都道府県のプール条例も調べたが、罰則付きの条例を持つのは5都府県にとどまり、20県は指導要綱さえなかった。埼玉県の上田清司知事は事故翌日の記者会見で「プールの安全管理は特定の少数の専門家でやっていく世界。大枠の条例で決める問題ではないと思う」と述べ、条例化には否定的な見解を示した。しかし、これだけ多くの死亡事故が起きているのだから、自治体も厳しい条例の制定を検討する時期に来ているのではないか。
瑛梨香ちゃんの遺体は直径30センチの暗いパイプ内で発見された。その痛ましい死を目にした人は皆、悔いや苦しみを感じたはずだ。プールの危険性を訴え続けるエコライターの有田一彦さん(50)は「その子の死に接した人だけが責任を感じる。だから組織や社会に反省が広がらず、教訓も生きない」と語る。プールの安全管理に携わる人たち全員が、今回の事故の痛みを共有してほしい。
毎日新聞 2006年8月29日