「受かりました」。何年も就職活動をしていた26歳の知人が先日、うれしそうに話しかけてきた。小さな出版社で働き始めたという。とっさに、以前聞いた彼女の言葉を思い出した。
「あいつ許せないんです」。重役をしている父親のコネで外資系の大手企業に入った妹を腐したのだ。「あたし絶対に嫌なんです、そういうの」。その断定調に、なつかしい青さを感じた。
世の中には2種類の人がいる。親の威光から逃れる人と、それを気にしない人。貧しい身なりで海外を旅する人の中に時折、著名な政治家や経済人の子息がいる。必死の思いで日本から逃れる姿は虚無僧のようだ。だが人は社会に出れば、かなりの部分がコネで動いていることを知る。サラリーマンが家路につかず、上司や同僚と飲むのは、親ぼくも大きいが、無意識にコネを期待しているのではないだろうか。
それにしても、なぜ一部の若者は親のコネを嫌うのか。一つは恥の意識だ。私は幼いころ聞いた大人同士の会話から「親の七光り」が「かなり恥ずかしいこと」だと教え込まれた。もう一つは、できるはずないのに、人生を自分ひとりで全うしたいという抗(あらが)いだろう。
七光りを浴びる人にもそれぞれの苦渋や葛藤(かっとう)がある。一つ欠けているとすれば、それは手に入れた職や地位をすぐさま放り出す自由かもしれない。コネは恩恵を得る代わりに自由を縛る。すると、泥にまみれて負け戦に挑んだり、孤高であることを難しくする。「何を青いことを」とも思うが、やはり26歳の知人の意地は、美しい青春だと思う。
毎日新聞 2006年8月6日