祖母の皆川ミハルさんに制服を脱がせてもらう優太ちゃん=新潟県魚沼市の自宅で
「自分でやるから、いい」。来月で5歳になる孫は好奇心旺盛。手を差し伸べようとしても、なんでも自分でやりたがる。新潟県中越地震で車に乗った母子3人が巻き込まれた長岡市妙見町の土砂崩落事故。現場から奇跡的に救出された皆川優太ちゃん=魚沼市中原=は周囲の温かいまなざしを受け、たくましく成長している。あの悪夢から2年。最愛の家族2人を失った祖母ミハルさん(68)は、きかん坊の孫に手を焼きつつも、「私の方が生きる勇気をもらっている」と話す。【渡辺暢】
コシヒカリで有名な田園地帯の秋の日が傾く。16日夕、優太ちゃんがミハルさんと共に保育園から帰ってきた。制服を着たまま庭に転がっているプラスチックのスコップを手に取る。早く遊びたくてうずうずしている。
「ほれ、優太、遊ぶなら『ただいま』せんば駄目だ」。声をかけられ、優太ちゃんは笑顔で駆け寄った。でも、ミハルさんがシャツのすそをズボンの中に入れようとすると「だめ、自分でやる!」。主張する年ごろだ。
地震後、ミハルさんはろくに眠れない日々が続いた。娘の貴子さん(当時39歳)と孫娘の真優ちゃん(同3歳)を失い、心にぽっかり穴が開いた。「死んだ人のことはできるだけ早く忘れんばと思うけども……。なにしろ張り合いがねえがのう」。心労のためか肺を患い、薬の副作用で体重は20キロも増えた。今も2、3週間に1度、長岡市の病院に通う。夫の敏雄さん(70)と営んでいた食堂は地震後一度も開けることなく、人手に渡った。
今は敏雄さんと優太ちゃんの3人暮らし。くじけそうになる心を支えてくれるのは、孫の成長ぶりだ。
ナシなどのもらいものがあると、仏壇の母と姉に供えるのが優太ちゃんの役目だ。夜、母と姉の遺影に「おやすみ」と声をかけるのも習慣になった。4歳としては発育がよく、身長は6歳児並みの110センチ。保育園のクラスでは一番ノッポだ。そんなところも、大柄だった貴子さんと二重写しになる。
送迎のたび、保育園の先生からその日の様子を聞くのが楽しみだ。「走り回って転び、足をけがして帰ってきたこともある。わんぱくぶりは増すばかりだわ」
9月末のある日、ミハルさんが体調を崩し、ひどくせき込んでいると、優太ちゃんがやってきた。「甘いの飲むとせきが止まるよ」。そう言って差し出したのは砂糖水。小さく不器用な手で一生懸命作った。ミハルさんは胸が熱くなり、かみしめるように飲みほした。不思議とせきが治まったという。
「優太で救われてるて。勉強なんか嫌いだっていいよ。元気でさえいてくれたら」
◆妙見町の土砂崩落 04年10月23日午後5時56分に起きた新潟県中越地震で、長岡市妙見町の県道脇の土砂約50万立方メートルが崩落、優太ちゃんと母貴子さん、姉真優ちゃんが乗ったワゴン車が巻き込まれた。3日後の26日に車が発見され、翌27日午後、4日ぶりに優太ちゃんが救出された。貴子さんは搬送先の病院で死亡を確認。真優ちゃんも28日に死亡が確認され、11月7日に遺体が収容された。