菅義偉総務相は、NHK短波ラジオ国際放送で北朝鮮の拉致問題に留意するようNHKに命令する意向を正式に表明した。11月の電波監理審議会に諮問するという。
私たちは、個別の政策を放送内容に盛り込めと命じることは、報道への国の介入につながる恐れがあると指摘してきた。総務省内でそうした懸念が十分に考慮されなかったとすれば、極めて残念だ。
今年度の場合、国は22億円余りの交付金をNHKに投入する予算を組み、それに見合う放送をするよう求める命令書を今春、NHKに交付済みだ。命令書では「時事」「国の重要な政策」「国際問題に関する政府見解」の3項目の放送を指定している。毎年出している命令書をこうした抽象的表現にとどめているのは、NHKの自主性を尊重しているからだ。
しかも、今春の命令書交付時には、総務省幹部が補足説明として拉致問題やテロなどに留意するようNHKに口頭で求めている。そこまでしながら、命令を追加する必要性がどこにあるのだろうか。
NHKは、今年に入ってラジオ国際放送で拉致問題を取り上げた報道が700本に及び、「拉致報道を一生懸命やっている報道機関だと自負している」と説明する。それでも総務省はまだ足りないという判断なのだろうか。命令を出す以上、現在の放送内容に不満があるのかと思えば、菅総務相は「内容まで踏み込むつもりは全くない」と言う。では、命令という形だけ付けたいということなのか。
個々の国策に関する放送命令は、場合によっては表現・報道の自由を侵害し、憲法が禁じる検閲につながりかねない危うさをはらんでいる。さらに、放送法が定めている放送の不偏不党や政治的公平に抵触する恐れもある。国による命令の行使には、極めて慎重で抑制的な姿勢が求められる。今回のような命令は不必要と言わざるを得ない。
総務相が電波監理審議会に諮問するのは放送法に規定があるからだ。会長の羽鳥光俊・中央大教授ら5人の委員が命令の適否を審議し、答申を出すことになる。その責任は重大だ。報道の自由に重きを置いた審議をじっくりとしてもらいたい。関係者からの意見聴取も可能であり、審議会はNHKのみならず、広く学識経験者や報道関係者らから意見を聞くべきだ。総務相は答申には必ずしも拘束されないというが、審議会が命令を不要と判断する答申を出せば、当然尊重されなければならない。
NHKにも注文しておきたい。現時点でNHKは命令を受け入れるとも拒否するとも明言していない。しかし、我が身に降りかかる問題である以上、考え方を明確にするべきだ。総務省や政治家の様子をうかがうかのような、報道機関らしからぬNHKの姿勢が、つけ込まれるすきを与えてはいないか。今回の命令を認めれば今後、テレビの国際放送も含めて個別政策の命令が次々と出され、自らの放送が制約される恐れがあることを、NHKは肝に銘じてほしい。
毎日新聞 2006年10月25日