「無頼派」の作家、織田作之助(1913~47年)が最晩年に書き、専門家にも存在を知られていなかった小説が、戦後の占領期に京都市で発行されていたローカル雑誌「国際女性」に掲載されていたことが23日までに、分かった。 見つかった小説は「四つの手記」。かつて交際していた男性と、自分の娘との関係を疑う女性「私」の心理が描かれた作品で、全集や単行本には収録されていない。「国際女性」46年9月の2号に、連載第1回の3ページ分が掲載されていた。 立教大の石川巧教授(日本近代文学)によると、雑誌自体がその存在をほとんど知られていなかった。石川さんが昨夏、金沢市の古書店で同誌の4号を見つけた。 その後、東京の日本近代文学館の所蔵資料から2号を発掘。3号だけは入手できていないが、各地の資料館などで入手した4号以降には「四つの手記」の掲載はなかった。連合国軍総司令部(GHQ)に提出された資料から、同誌は紙不足のため7号で休刊したことも判明した。 「国際女性」の顧問は谷崎潤一郎と新村出が務め、武者小路実篤や田村泰次郎らも随筆や小説を寄稿。全集に掲載がない谷崎の対談なども収録されていた。女性解放運動家らが支援する総合雑誌で、戦前の思想弾圧「滝川事件」で知られる法学者・滝川幸辰らも論文を寄せていた。 石川さんは「織田作之助が最後に書いていたのは46年末まで新聞連載した『土曜婦人』だが、それが始まった後に掲載された『四つの手記』は最後に構想した連載小説と思われる。執筆陣を見ると、谷崎が主導して雑誌を作っていたことがうかがえる」と話している。〔共同〕 |
織田作之助の小説「発掘」 戦後、京都の雑誌に掲載
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