8月31日のW杯アジア最終予選の豪州戦で追加点を決めて喜ぶ井手口=長島一浩撮影
日本の6大会連続のワールドカップ(W杯)出場が決まった8月31日のアジア最終予選の豪州戦。チーム最年少の21歳が放ったミドルシュートが、勝利を決定づけた。MF井手口陽介(ガ大阪)。約9カ月後の本大会に向け、待望の若い力が現れた。
【特集】ザ・ロード
豪州との決戦にも、気持ちは少しも揺れなかった。
身長171センチ。中盤の左前で先発した井手口は、190センチ近い選手にガツガツと体を寄せてボールを奪い、攻撃の芽を摘んだ。
後半37分。敵陣ペナルティーエリア手前のゴール正面から、右足で豪快なミドルシュートを突き刺した。さすがの21歳も「頭の中が真っ白になった」という流れを決める一発。大歓声に包まれながら、仲間にもみくちゃにされた。「代表で活躍することで、今まで育ててきてくれた人たちもうれしいと思ってくれる」
◇
金色や銀色に染めた髪に口ひげ。派手でやんちゃな雰囲気を漂わすが、実は目立つことは嫌いだ。豪州戦の活躍で、顔を知られ、街中で声をかけられる機会が増えたという。だが、「そっとしてほしい。一般の人として扱ってほしい」。
サッカーに関しても、地味な職人肌の選手だ。「素人が見てすごいじゃなくて、サッカーを知っている人が見て、陰ながら頑張っているな、と思われる選手になりたい」。玄人受けするプレーを磨くことで、道を切り開いてきた。
その才能をいち早く見抜いてくれたのが、中学に入る前に受けたガ大阪ジュニアユース(JY)のセレクションだった。
約500人が分かれて行うミニゲーム。一般参加の体の小さな少年が、試合の流れを冷静に見ながら、パス、ドリブルを駆使して攻撃を組み立てていた。当時のJYの鴨川幸司監督は「派手なプレーをしないが、楽に点を取れるようなプレーを選んでいた。よくサッカーを知っているな、と思った」。3次まであるセレクションで、異例の1次のみで合格した。
JY、ユースで主力として活躍し、2014年4月のカップ戦でプロデビュー。当時17歳。ガ大阪では、宇佐美貴史(デュッセルドルフ)以来となる史上5人目の「飛び級プロ」となった。
しかし、新人年のリーグ戦出場はゼロに終わった。当時のガ大阪には、同じ守備的MFに遠藤保仁、今野泰幸、明神智和の代表経験選手が並んでいたからだ。
偉大な先輩たちの技術を盗みつつ、地道な練習で、今に続く“通(つう)好み”の独自のスタイルを築き上げた。
その一つが、ボール奪取だ。小柄な井手口は力負けせぬよう、相手の死角から迫る工夫をしている。狙うのはトラップの瞬間。直前に急加速して間合いを詰め、相手の足元から球が離れたところに足を出す。「球際の勝負で、ボールを取れたときが一番楽しい」
時には激しく体がぶつかり合うこともある気迫あふれるプレーを、日本代表のハリルホジッチ監督はたたえる。「積極的にデュエル(決闘)にいくタイプだ」。現在、代表で3試合連続で先発起用される。
◇
10代から将来の日本を背負う逸材として期待されてきたサッカー人生には、二つの節目がある。
一つは高校時代。遊びたい盛りで、ユースの練習をサボった。寮の規則を破ったり、世代別代表の合宿中に無断で帰宅したりしたこともあった。そんな時、母の亜紀子さんに病気が見つかった。「自分のせいでお母さんが病気になった気がした。もう、これ以上迷惑をかけられないなって。そこからサッカーに集中できるようになった」
もう一つは2年前の19歳での結婚だ。決意のきっかけは、中学の同級生だった妻の母親にがんが見つかり、余命宣告を受けたからだった。「はよ結婚して安心させたいと思った。だから、いきなりプロポーズしました」。昨春に妻の母が亡くなり、花嫁姿や昨年6月に生まれた長女を見せることはできなかった。「でも、結婚の報告はできたから、それは良かった」。守るべき家族の存在に支えられる。
紆余(うよ)曲折しながら、サッカーには愚直に、周囲の人には真摯(しんし)に向き合い、そして、憧れのW杯の舞台に近づいてきた。タレントぞろいの日本の中盤で代表に選ばれるのは難しいが、「負けたくないし、年の差とかも関係ない。憧れのプレーヤーとかはいない」。身につけた武器とともに、自らの信じる道を進んでいく。(大西史恭)
いでぐち・ようすけ 1996年生まれ。福岡県出身。ガ大阪の下部組織で育ち、ユース時代は背番号10。2014年にクラブ史上5人目の飛び級でトップチームに昇格。16年夏のリオデジャネイロ五輪日本代表に最年少で選出。同年にはルヴァン杯ニューヒーロー賞、J1ベストヤングプレーヤー賞をダブル受賞した。日本代表4試合1得点。身長171センチ、体重69キロ。