インタビューにこたえる白土三平さん=千葉県、横関一浩撮影
私たちが思い浮かべる忍者は、アニメや映画などから来ている。その草分け的な存在が、長編劇画「カムイ伝」を描いた白土三平さん(85)だろう。「カムイ伝」は、人間の平等や自由を描き、学生運動が盛んだった1960年代に若者の心をとらえた作品だ。白土さんに忍者への思いを聞いた。
邪念を払って、いざ忍びの道(一緒にTRY)
――忍者に関心を持つようになったきっかけは
戦争中、中学1年のときに今の長野県上田市に疎開しました。真田家ゆかりの地で、信綱(のぶつな)らの菩提(ぼだい)寺「信綱寺」が近くにありました。「鈴木君」という親友の家で猿飛(さるとび)佐助や霧隠(きりがくれ)才蔵の赤本をむさぼるように読みました。忍者は武士や農民ができないことをかなえてくれる存在ですが、私には、佐助らが格好良いというよりは素朴と感じられました。
――作品には、動物の生態や自然を生かす様子が詳しく描かれています
疎開する前、東京・練馬でも農業はやっていましたが、長野での経験が生きています。農家の人に教えてもらいました。野生動物はどこまで食えるかも学んだ。50年ほど前に縁があり、今、房総半島で暮らしています。数十メートルで海。この前まで海女(あま)さんと一緒に潜ってサザエをとったり、農家の人が捕まえたイノシシやタヌキの解体を手伝ったりしていました。
――カムイは、江戸幕府が押し…