常連客と笑顔で語り合う「善ちゃん」の浅井久子さん=名古屋市中村区、戸村登撮影
名古屋駅から西へ。ふらふらと20分ほど歩くと、居酒屋「善ちゃん」(名古屋市中村区)の赤ちょうちんに誘われる。60年以上も夫婦で続けてきた店だ。1年前に大将が亡くなり、おかみは閉店も考えたが、常連客たちに支えられて店を守っている。
「善ちゃん」。そう呼ばれて親しまれた大将の浅井善一さんは昨年5月27日、肺炎をこじらせた。82歳だった。今は店の2階にある祭壇の遺影で、いつものようにほほ笑んでいる。
「おはよう」。毎日、妻の久子さん(82)は5合のご飯を炊くと、ひと口目を善ちゃんに出す。結婚してからずっと続けていることだ。「ちゃんと炊かないと怒られちゃうから。今も台所にいて、『おーい』なんて呼ばれる気がして」
善ちゃんがお店を構えたのは1955年。大卒の初任給が1万円ほどのころ、35万円で買った。当時は2階なども客席として使っていたので60人は入れた。今は2畳ほどの小上がりと、小さな座卓が二つ。8人も入ればいっぱいだ。午後5時に店を開け、客がいれば翌朝の午前4時まで宴(うたげ)が続くのは変わらない。
店の周りは遊郭だった名残もあり、旅館が多い。劇場「名鉄ホール」に出演した役者らの定宿だった「東銀旅館」もその一つ。舞台を終えた役者らが「一日の終わりは善ちゃんで締めないと」と連日、店に集った。
喜劇役者だった三木のり平さんは「次の舞台で板前の役をするから」と、善ちゃんから料理を教わったという。「浪花のおかん」と親しまれたミヤコ蝶々さん、森繁久彌さんや藤山寛美さんも店を訪れたことを久子さんは覚えている。「ここに来た若い役者さんは、みんな有名になったのよ」と懐かしむ。「東銀旅館」はなくなり、「名鉄ホール」も閉館した。
居酒屋「善ちゃん」は、地元の人たちにも愛され続けてきた。恋人と来た看護師、画家、警察官、近所のおばあちゃん。のれんをくぐると、ふわっとしょうゆの甘い香りが出迎える。
「ただいまー。カツ丼ちょうだい」
「おかえりぃ」
善ちゃんは、おでんやオムライスなど、食材があれば何でも作った。値段も安く、カツが積み重なった大盛りカツ丼は750円。客から「値上げしたら?」とよく言われた。客との会話は、もっぱら久子さんの担当。善ちゃんはカウンター越しに、にこにこしながら眺めていた。
40年近くほぼ毎日通っているという男性(70)は「善ちゃんは話したいときは相手をしてくれて、1人でいたいときはそっとしてくれる」。書店の店長の男性(66)は「色んな人が集まるのは、善ちゃんとお母さんの人柄だね」と話す。
善ちゃんが亡くなり、久子さんは1週間ほど店を休んだ。「1人ではしんどい。もう閉めようかな」。それでも続けようと決めたのは、常連客がいたからだ。「閉めちゃうの? 帰るところがなくなっちゃう」。そんな言葉を聞いて、頑張ることにした。
ただ、接客担当の久子さんには料理の経験がほとんどない。「お父さんはどうしてたかな」。レシピはないので、善ちゃんの動作を一つひとつ思い出しながら料理する。「砂糖ひとつかみって言っても手の大きさが違うからねぇ」
1年がすぎ、今ではカツ丼や雑炊、魚の煮付けなどの味を「再現」できるようになった。「善ちゃんのころより味が甘くなったって言われるけどね」と久子さんは笑う。
常連客からプレゼントされた赤ちょうちんが、今夜も居酒屋「善ちゃん」の入り口をほんのりと照らす。(小手川太朗)