第100回全国高校野球選手権記念東・西東京大会(朝日新聞社、東京都高校野球連盟主催)は29日、神宮球場で東大会の決勝があった。第2シードの二松学舎大付が第1シードの小山台を中盤に逆転して6―3で破り、2年連続3度目の優勝を飾った。約2万6千人の観衆が見つめた一戦、69年ぶりの決勝に臨んだ小山台は先取点を奪いながらも力及ばず、夏の甲子園初出場は持ち越しとなった。二松学舎大付は8月5日に阪神甲子園球場(兵庫県西宮市)で開幕の全国大会に出場する。30日は西大会の決勝、日大三―日大鶴ケ丘が午前10時から神宮球場である。
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「賭けだった」。2年連続の甲子園を決めた直後、二松学舎大付の市原勝人監督はそう振り返った。
連投の疲れからか、先発の大庭がぴりっとしない。ボールが先行する苦しい投球が続き、味方のまずい守備もあり、四回を終えて2―3とリードを許していた。試合の流れを変えたい。市原監督は、投手交代を決断した。五回から、マウンドに岸川を送った。
入学してからずっと、岸川はくすぶり続けていた。
中学時代から130キロを超える直球を投げ、将来の絶対的エースと期待されていた。
しかし、1年の秋からベンチ入りしながら、結果が出ない。昨春の大会では背番号すら与えられなかった。昨夏は「19」を背負い、二松学舎大付は甲子園出場を果たしたが、甲子園ではベンチに入れなかった。そして、今夏。エースナンバーは後輩の2年生左腕が背負った。岸川は「10」だった。
しっかりと腕を振るという、投手の基本ができていなかった。「球を置きにいっていた」と振り返る。
投球が激変したのは、最後の夏の大会の直前だった。それまで先発起用が多かったが、リリーフを任された。ここで自分が抑えなければ、負ける――。そんな場面でのマウンドが増え、「絶対に抑えてやる」という闘争心が前面に出るようになった。
中盤に入り、小山台を追いかける展開。もう1点もやれない。躍り上がるような大きなフォームで、相手打線を三者凡退に抑えた。しかも2三振。相手に傾きかけた流れは、ここで完全に断ち切った。ベンチに戻ると、市原監督が全員に声をかけた。「これで、勝てるぞ」。言葉通り、直後の五回裏に逆転に成功した。
でも、後輩に背番号1を奪われたことは、正直、まだ悔しい。試合後、そんな思いをくすぶらせていた岸川の耳に、優勝インタビューにこたえる市原監督の言葉が聞こえた。
「本当はうちのエースなんです。エースが一番いい場面で一番いい仕事をしてくれた」
突然の、最大の褒め言葉に、感情が抑えられなかった。岸川は、泣いた。
「甲子園で、背番号1をつけます」。二松学舎大付のエースはそう誓った。(阿部健祐)